『Lilian/stay night?』

 

■第8章:12月14日(土) 17時48分 福沢祐巳/『気持ち中腰の懇談会』

「さ、どうぞ」

 蓉子さまに続いてギシギシと音をたてる古びた階段を上がると、ビスケット風の扉をくぐった先にある応接室へと通され

た。

 ヒーターなのかストーブなのかわからなかったが、部屋へと足を踏み入れた瞬間、心地いい暖気が祐巳の全身を優し

く包み込んでくれる。

(ここが、薔薇の館……)

 通された部屋は、クロスの掛かったダイニングテーブルと椅子が6脚、書類や書籍が収められている書棚などが置か

れた10畳ほどの洋室だった。

 正面には出窓があり、奥には簡易的な炊事設備、というか簡単なシンクと食器棚なども確認出来た。

(意外に質素な部屋なんだ……)

 聖杯戦争に関わる建物にしては、それっぽい雰囲気の欠片もない"ありふれた"部屋だったことに、なんとなく拍子抜け

してしまった祐巳。心の隅で出会うことを期待していた、ほかの山百合会幹部の姿もなかった。

「神父さんがいらしたから、てっきりあの方が監督者なのかと思ってしまいました」

 勧められた席へと腰を下ろしてマフラーを外しながら、祐巳は向かいの席へと腰を下ろした蓉子さまへと言った。

 いきなり祐巳の顔を覗き込んできたり、祥子さまを挑発してきたときはこの後どうなってしまうのかと不安に駆られた

が、意地悪スイッチが入らなければ気さくで人当たりのいい女性だったので、祐巳も自分でビックリするくらい自然に話し

かけることが出来た。

「は? 神父って?」

「え!? えっと、その、言峰、神父のことですけど」

「言峰? 神父? ああ、綺礼のことか」

 一瞬、「誰のこと?」と言わんばかりに首をかしげた蓉子さまだったが、すぐに言峰綺礼のことだと気がつくと「そういえ

ば神父だったわね。忘れてたわ」と苦笑を浮かべた。

「仏頂面で無愛想。それっぽい格好をしている上に、それっぽい雰囲気も醸し出しているからそう思われても仕方がない

わね。でも、監督者はこの私、水野蓉子なのよ」

 蓉子さまは親指で自分のことをクイっと指差してニッと笑んだ。

「では、言峰神父はどなたなんですか?」

 監督者が蓉子さまと判明した時点で当然沸いてくる疑問。明らかにリリアンの部外者であろう言峰綺礼とは一体何者

で、何故薔薇の館にいるのだろうか。

「どなたって、綺礼は綺礼だけれど?」

「あ、いや、そういう意味じゃなくって」

 自分でも変なものの聞き方をしてしまったという自覚はあった。それでも言葉のニュアンスで伝わればいいだろうなんて

思っていたのだけれど、残念ながら質問の意味が伝わらなかったらしい。

 どう言い直したら意図が伝わるかと必死に考えていると、

「あなたの百面相、面白いわね」

 組んだ指に顎を乗せ、愉快そうな表情で祐巳の思案顔を眺めていた蓉子さまがそんなことを言ってきた。

「は? 百面相、ですか?」

 どういう意味で祐巳のことを百面相と言ったのか。そして、なぜ愉快そうに笑んでいるのか。今度は祐巳の方が意図を

汲み取ることが出来なかった。だが、

(ああ、そういうことか……)

 蓉子さまの愉快そうな表情を見つめているうちに、それが何を意味しているのかわかった気がした。

(意味を理解した上で意地悪してたってことね……)

 今の祐巳は、理路整然と言葉を紡ぐまでに精神的余裕が回復しているわけではない。それなのに、容赦なしに弄くって

くれる。まったく油断も隙もない。

 祐巳は、悪戯っぽく笑む蓉子さまを不機嫌そうに見返しながら、ぷうと頬を膨らませて精一杯の抗議アピールをした。

「ふふ。からかってごめんなさい。あなたの百面相が可愛らしかったものだからついね」

 また百面相だ。一体どういう意味なのだろう。気にはなったが、これ以上脱線したら、いつ話の本題へ戻れるのかわ

かったものではなかったので、今はスルーすることにした。

「えっと、言峰綺礼のことだったわね。彼は神父は神父なんだけれど、正式には聖堂教会から派遣されて来た代行者と

呼ばれる聖職者なの。聖杯戦争の期間中、監督者、つまり私の補佐をしてくれることになっているのよ」

 スイッチが切り替わったようにスッと真顔になると、蓉子さまは言った。

「聖堂教会? 代行者?」

 またしても、新たなワードの登場だ。祐巳は聞き馴染みのない"聖堂教会"や"代行者"という言葉に小首を傾げると、

思わず当事者である言峰神父の方をチラリと横目で窺った。

「聖堂教会っていうのは、カトリック教徒にあだなす異端者や吸血種を神様に成り代わって懲らしめるためにカトリック教

会が保有している聖堂騎士団とは別の組織。代行者というのは、そこに所属している武装使徒のことよ」

「ぶ、武装使徒、ですか……」

 騎士団だの異端者だの、今は中世ヨーロッパじゃありませんけど。それに、カトリック教って博愛主義じゃありませんで

したっけ? と一瞬突っ込みかけた祐巳であったが、

「って、吸血種!!!!!!」

 ある言葉を頭の中でリフレインさせると、ギョッとした叫び顔で表情が硬直し、驚きのあまり思わず席から立ち上がって

しまった。

 もちろん、はしたない行動だったので、咳払いで祥子さまに嗜まれてしまったのは言うまでもない。

「吸血種ってゲームとかマンガに出てくるドラキュラとかですよね。そんなものが実際にいるんですか!?」

「ドラキュラ伯爵が実在しているかどうかは知らないけれど、人の生き血を吸う吸血種は実在しているのよ。そんな輩を

神に成り代わって懲らしめるのが綺礼の仕事なの」

 祥子さまの話とは別ベクトルに途方もない内容で、理解が追いつかない。驚いていいものか、笑い飛ばしていいものか

の判断すらままならなかった。

「あ、でもマリア様の加護を受けているリリアンと、神になった彼の武人が睨みを利かせている武蔵野の大地一帯には

穢れた輩は入り込めないから、そういう意味での心配は無用なんだけれどね」

 なんだ、それなら安心ですね。……って、いやいやいやいや、そういう問題じゃない!

 今の話を信じるならば、武蔵野の大地は安全だけれど、日本にも怪物がいるってことになりませんか蓉子さま? 私た

ちが暮らす世界は、そんなにも物騒なんですか?

 現実の話として語られてはいるけれど、その内容があまりにも突飛すぎるために、もはや乾いた笑いしかもれてこない

祐巳だった。

「ん? では、なぜ言峰神父は、わざわざリリアンへ来られたんですか?」

 怪物に襲われる心配がないのなら、代行者である彼の派遣は不要なはず。なのになぜ言峰神父はここへ派遣されて

来たのか。いや、派遣される必要があったのか。

「なぜって?」

「あ、いえ。監督者の補佐でしたら、吸血種退治が本職の代行者さんがわざわざ来られなくてもいいんじゃないかなって

思ったもので。だから、なんか意味が……」

 刹那、テーブルに身を乗り出した蓉子さまの人差し指が祐巳の唇に押し当てられた。

「はい、そこまで。興味本位であれこれ詮索するのは、あまりお行儀がいい行為とは言えなくてよ」

 静かな口調で言う蓉子さまと視線が交差した瞬間、祐巳は言おうとしていた言葉と共に大きく息を飲み込んだ。

「世の中には、知らない方が幸せなこともあるということを覚えておくといいわ」

 蓉子さまの双眸から放たれる冷たい視線。威圧感というよりも殺気に近い何かが閃く鋭い眼光に射抜かれた瞬間、祐

巳は体感したことのない悪寒に襲われた。ゾッとするとか血の気が引くどころの騒ぎではなく、暖房が効いている部屋に

いながら身体の芯から震えがおこってくる。

「understand?」

「は、はい。……わかりました」

「うん。いい子ね」

 そう言うと蓉子さまは、すっかり萎縮してしまっている祐巳の頭を静かに撫でた。本当はまだ気になっていたけれど、と

てもじゃないが祐巳にはこれ以上先に踏み込む勇気はなかった。

「まあ、どうしても気になるのならば、そうね。綺礼のことは、聖杯戦争の事務処理と雑務を担当するスタッフとして来ても

らった派遣のバイトくんだと思ってくれればいいわ。実際、そんな違いはないしね」

「バ、バイト……ですか」

「そ。あ、あと聖堂教会や代行者の話はあなたの胸の奥にしまっておいてね。つい流れで話しちゃったけれど、あまり表

に出していい話じゃないから」

 にこやかにそう言った蓉子さまの眼は笑っていなかった。すでに先ほど感じた殺気のようなものは完全に消え去ってい

たが、すっかり気圧されてしまっていた祐巳には無言で頷くことしか出来なかった。

 まだ心臓が高鳴っていたが、蓉子さまが表情を和らげてくれたおかげで張り詰めた雰囲気は完全に払拭。祐巳が引き

つっていた頬の筋肉をやっとの思いで緩めていると、

「好き勝手言ってくれる。よもや、私を給仕かなにかと勘違いしてはおるまいな蓉子? 聖杯戦争の補佐や事務処理はと

もかく、私は雑務まで請け負うと言った覚えはないぞ」

 話しの折りを見計らっていたのか。買ってきたお茶菓子やスティックシュガー等を食器棚へ収納していた言峰神父が、

せわしなく動いている手を止めることなく蓉子さまの説明に物申してきた。

「あら、監督者の下で働くのがあなたの仕事でしょ。だったら、雑務も立派な補佐のうちじゃないの。違って?」

「ふん、口の減らん女だ」

「ありがと」

 祐巳に対するときとはまた違った色を帯びた大人な会話。そんなふたりのやりとりを自分のときとは違った緊張感を

持って見守っていたら、ふいに視線を巡らせた蓉子さまと目が合って、ワケもわからないままウインクされてしまった。

「そんなことより綺礼、片づけは後でいいからお客様に紅茶を出してあげて。あと私にもおかわりを頂戴」

 そう言って、蓉子さまは出窓に置かれていたティーカップを指差した。

「それも補佐のうちか?」

「そ。これも立派な補佐。っていうか、おべっかじゃなくて、あなたの淹れてくれる紅茶、美味しくて好きなのよ」

「……まあ、褒め言葉として受け取っておくとしよう」

 言いながら言峰神父は蓉子さまのカップを回収し、シンクで手早く濯いだ。何だかんだ言いつつも、その手際は実に鮮

やかだった。

「あ、綺礼、紅茶にブランデーなんて垂らしちゃ駄目よ」

 言峰神父の洗い物の手際に見入っていると、蓉子さまから神父に予想外の突っ込みが入れられたので、一瞬、祐巳

は噴出しそうになってしまった。

「駄目か? 風味が増して冷えた身体も温まるのだが」

「この子達は未成年なんだから少しは考えなさい」

「お前も未成年ではないか」

 手を動かしながら、しれっと言う言峰神父。

「そういう誤解を与えるような言い方はよしなさい。誰も私のカップにはブランデーを垂らせなんて言っていないでしょう」

「いらないのか?」

「いらないわよ!!」

「堅物だな」

「堅物じゃない。ものの分別をわきまえているだけよ」

「そうか。心配するな。ブランデーは私の自室だ」

「あらそう」

 まるで順序だてされたお芝居のような、蓉子さまと言峰神父の言葉の応酬。それがひと段落すると、そのタイミングを

待っていたかのように、お湯を沸かしていた電気ポットのスイッチがパチリと音を立てた。

 

「そういえば」

 出された紅茶とお茶請けのクッキーを口にしながら蓉子さまと談笑しているうちに、だいぶ気持ち的な余裕を取り戻す

ことの出来た祐巳は、あることを思い出し、窓の傍に立って紅茶をすすっていた言峰神父へと思い切って声をかけた。

「なんだ?」

「ここへ来る途中で見慣れないシスターに会ったんですけれど、彼女も聖堂教会から来た方なんですか?」

 それは、先ほど出会った見慣れないシスターのことだった。祥子さまは彼女のことを聖杯戦争を手伝うために臨時召

集されたシスターだろうって言っていたけれど、部外者だとすると、同じく派遣されて来ている言峰神父と立場が似てい

る。あの人も聖堂教会の人間なのだろうか。

 神父のことはともかく、なんとなくあのシスターのことが気にかかっていた祐巳は、まだ苦手意識が1ミクロンも拭えたわ

けではない言峰神父のことをしっかりと見つめて、震え気味の声で尋ねた。

「シスター? ……ああ」

 祐巳の問いかけに一瞬怪訝な表情を見せた神父だったが、半瞬だけ考え込むと感情の宿っていない冷めた眼差しを

祐巳へと向けた。 

「ヤツに会ったのか」

「はい」

 視線が交差しただけで悲鳴がもれそうになる。

(うう、駄目だ。やっぱりこの人、苦手……)

 そんな祐巳の姿を見て軽く失笑する言峰神父。祐巳はたまらず視線を逸らした。

「あの女は私の連れだ。争奪戦の間、高等部へ在学しながら私同様に監督者の補佐をすることになっている。少々気難

しいところがあるが、貴様も私より接しやすかろう。もしわからないことがあれば、ヤツに聞くといい」

 そう言うと、言峰神父は紅茶をひとすすりして木枯らしの吹く外の景色へと視線を向けてしまった。

 不思議な雰囲気を漂わせつつも、神父とは違って魅力的だったあの女性。「名前は?」とか「神父との間柄は?」とか

「彼女も代行者なのか?」とか、もっと彼女のことを聞いてみたかったのだが、残念ながら今の祐巳には、まだ長話が出

来るほど言峰神父に対する免疫力がついているわけではない。

 祐巳は、シスターの素性が多少わかっただけでも収穫だと自分に言い聞かせて「はい」と返事をすると、神父との会話

を終えたのだった。

 

第9章へつづく

  

 前回、20日に1回更新しますよーなんて言っていたにも関わらず、気がついたら2ヵ月ぶり。ゴメンナサイ。時間はあっ

たんですけれど、3月に締め切られるコンテスト応募用作品の追い込みをしていました。

 おかげさまで恋愛伝奇モノを書き上げられましたので、入賞のあかつきにはここで発表させていただこうと思います。

まあ、入賞なんて夢物語ですけれど(笑

 ともかく、お待たせしてしまいまして重ね重ねゴメンナサイでした。

 

 さて、今回あまり大きな動きはありませんでしたが、綺礼や謎のシスターの背景がほんの少し見えたかなって感じで

す。個人的には、蓉子さまと綺礼の掛け合いを楽しみながら書いておりました。

 これから少しずつFateの重苦しい雰囲気が強くなり、マリみてらしさが若干薄れてしまう展開が続くのですが、登場人

物の“原作らしさ”まで薄れないよう書いていきたいと思っておりますので、これからもよろしくお願いします。

 

 最後に補足を。劇中に出てきました“睨みをきかせている神になった武人”ですが、これは、平将門公です。大手町の

オフィス街に首塚があることで有名な御仁ですが、以前読んだ書籍に、東京の守護神という記述があったので、名前だ

けですが今回、ご登場願いました。カトリック教との関わりあいは皆無です。

 

 あと…プライベートでちょっとした動きがあったりなかったりしたんですけれど、それは追々……。

 

 

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