『Lilian/stay night?』

 

■第9章:12月14日(土) 18時00分 福沢祐巳/『一寸先の闇』

「さて、それじゃそろそろ本題に入りましょうか」

 紅茶を飲みながらしばらく祐巳たちと談笑していた蓉子さまは、空いたカップをテーブルの端に寄せると、居住まいを

正して言った。

「えっと、誰さんだったかしら?」

「あ、私は福沢祐巳です。で、こちらが、ロサキネンシスの小笠原祥子さま」

 ついさっき、祥子さまに名を名乗っていたので、すでに蓉子さまも自分の名を知っているものと思い込んでいたが、よく

考えたらここへ来てから、まだ自分の名を名乗ってはいなかった。

 言峰神父との遭遇からずっと密度の濃い話ばかりが飛び交っていたので、自己紹介どころじゃなかったのが正直なと

ころなわけだが、名前を名乗ったかどうかもわからなくなってしまうとは、自分で思っている以上にテンパっていたようだ。

「祐巳ちゃんね。改めてヨロシク。で、あ・な・た・が、ロサキネンシス、紅薔薇・さ・ま、ね。ふーん」

 祐巳に向かって微笑んだ後、蓉子さまは祥子さまの方を向いて意味ありげにニヤリと笑んだ。

 なんの意図があったのか祐巳にはわからなかったが、少なくとも好意的とは言いがたい笑み。案の定、対する祥子さ

まは眉間にしわを寄せ、険しい表情で蓉子さまをにらみ返していた。

(わー、また不穏な空気がああ! せっかく場が和んできたんですから、おふたりとも争いだけはやめてくださいねーー

ーーーっ)

「では、祐巳ちゃん。ロサキネンシスから聖杯戦争について、どれくらいのことを聞いているのか教えてもらえる?」

 ひとりアタフタしていると、沸騰しそうな祥子さまをスルーして蓉子さまは祐巳の方へと向き直った。

 それで噛み付くタイミングを逃してしまった祥子さまは、浮かせかけていた腰を椅子へと下ろすしかない。膝の上で

ギュッと握った両手を震わせているところを見ると、蓉子さまの挑発が逆鱗に触れたのは間違いなさそうだ。

 しかし、蓉子さまとは一体何者なのだろう。紅薔薇と呼ばれている祥子さまを手のひらの上で転がすように簡単にあし

らってしまうだなんて、只者とは思えない。監督者という役職を抜きにしても、蓉子さまには何らかの秘密があるのではと

勘ぐりたくなってしまう。

 そんなことを考えながら無言で蓉子さまの顔を見つめていると、

「どうかした祐巳ちゃん?」

「あ、はい。すいません」

 首を傾げる蓉子さまと目が合ってしまった。祐巳は慌てて目を逸らすと、記憶を辿る作業を開始。険しい表情でテーブ

ルを睨みつけている祥子さまを横目で気にしつつ、ここへの道中で聞かされた話の内容を順番立てて語っていった。

「なるほど。それだけ知っていれば私の話すことはなさそうね。十分参戦出来るわ」

 祐巳が知っていることをあらかた伝えると、蓉子さまは小さく頷きながら言った。

「え!? でもまだルールとか知らないんですけれど……」

 聖杯戦争に参戦するしないは置いておくとして、聖杯戦争についての詳しい話を聞きに薔薇の館へ来たというのに、本

題がお茶の時間よりも短いとは。小難しい話を長時間されるよりも、簡潔に短時間で終わってくれた方がもちろんありが

たくはあるのだけれど、あまりの簡潔っぷりに祐巳は思いっきり肩透かしをくらってしまった。

「戦いに勝ち残って最後に願いを叶えるって事さえわかっていれば、あとルールなんてあってないようなものなの。強いて

言えば、リリアンの敷地外で争ったり一般生徒や教師に危害を加えたりする行為が禁止なくらい。この2つさえ破らなけ

れば、あとは何をやってもお咎めはナシ」

 言いながら蓉子さまは、順番に2本の指を立ててみせた。

「何をやっても?」

「ええ。敷地内のどこで何時に戦おうと、どんな武器を使おうとあなたたちスールの自由。ほかのスールと結託して共闘し

ても構わないし、仮に相手の明日を未来永劫奪ってしまっても罪に問われることはない」

「明日を奪う?」

 蓉子さまの語った『明日を未来永劫奪う』という言葉がなんとなくひっかかったが、最初、どういう意味なのかわからな

かった。しかし、しばらく頭を捻っているとあることに思い当たり、祐巳は一気に血の気が引いてしまった。

 真意を確かめる勇気がなかったので、あくまでも祐巳の推測でしかなかったが、蓉子さまは相手の明日、つまり生命を

奪っても罪にならないということ遠まわしに言っているのではないか。所謂殺人が、この争奪戦では合法であると……。

「顔色悪いけど大丈夫?」

「あ、は、はい……たぶん大丈夫、です」

 口では大丈夫と言ったものの、本当は全然大丈夫ではなかった。その表情は強張っており、辛うじて浮かべた笑みも

引きつっていた。

「なんとなく気付いたみたいね。お察しの通り、聖杯戦争では人の生命を奪う行為も合法とされているわ。何故って聞か

れても答えられないけれど、そういうことになっているの」

 祐巳の凍りついた表情を見て察した蓉子さまは、顔色1つかえずに淡々と説明した。

「生命のやり取りをしろなんて言われたら誰だって怖くなるわよね。でも、どんな願いでも叶えられる権利の奪い合いです

もの、その勝負に生命をベットするというのも十分にアリな話だと思わない?」

「……」

「まあ、生命を賭けるっていっても、この争奪戦にその価値があるというだけで、実際に生命の奪い合いをする必要はな

いんだけどね。決着がつけばいいだけだから、勝負で相手の生命を奪うなんて事態はほとんど起こらないと思ってもらっ

ていいわ。現に、今までにそういった事例は数件しかないし」

 それでも、数件はあったんですねと言おうと思ったが、人を殺めると口に出した瞬間、恐怖に押しつぶされてしまうよう

な気がして、祐巳は出かかった言葉を寸でのところで飲み込んだ。

「それに、実際に相手と戦うのはサーヴァントだから、生命の奪い合いになったとしても祐巳ちゃんが実害を被る可能性

は限りなく低いのよ」

 蓉子さまが務めて明るい声で補足説明をしてくれたが、完全に動揺している祐巳の耳にその声は届いてこなかった。

「そんな残酷なことまで許される大会だなんて、私、聞いてない……」

 先ほどまで求めていた聖杯戦争の詳細を知るということは、こういうことだったのだろうか。だとしたら、聞くんじゃな

かった。聞きたくもなかった。祐巳は必死に両耳を押さえたが、もう手遅れだった。

 今までは絵空事のように思っていた聖杯の奪い合いが、急激にリアルな現実として頭の上から降ってきた。しかも、想

像もしていなかった恐怖という闇を伴ってだ。

 祐巳は、出口の見えない圧倒的な闇の只中に、ひとり取り残されてしまったような圧倒的孤独感に駆られた。

「大丈夫、祐巳?」

 自らの腕を抱きしめて微かに震えていた祐巳に、祥子さまが心配そうに声をかけてくれた。ゆっくりと顔を向けると、心

配顔で見つめてくださっている祥子さま。

「祥子、さま……」

 目が合った刹那、祐巳は必死になって祥子さまの腕にすがりついた。それで恐怖が消え去ったわけではなかったが、

伝わってくる祥子さまの温もりのおかげで、孤独感が幾分か和らいだ気がした。

「何故」

 顔だけを蓉子さまに向けて、祐巳はなんとか声を絞り出した。

「何故、私なんかに聖杯戦争への参加権が与えられたんでしょうか……。これっぽっちも望んでなんかいないのに何故、

私に……」

 救いを求めるような眼差しで蓉子さまを見つめつつ、祐巳は返答を待った。返答内容如何で、この恐怖が軽減される

かもしれないという期待を込めて。

 ゴクリと喉がなる。ところが。

「さあ。いくら監督者でも、聖杯の意思や思惑まではあずかり知らないわ」

 返ってきたのは、祐巳の期待に副わない一言だった。

「……え? 今何と?」

「知らないと言ったわ」

 再度問うと、蓉子さまはお手上げのジェスチャーをしつつ肩をすくめ、祐巳の問に簡潔な言葉で答えた。簡潔、いや、

そっけない蓉子さまの返答に祐巳は耳を疑った。

 どんな理由があるのかと身構えていたのだが、祐巳の期待していた答えには程遠い回答。どんな回答が得られれば

納得し、安心が得られたのか自分でもわかってはいなかったが、手を差し伸ばした先に見えていた微かな光明は、一瞬

で掻き消えてしまった。

「でも、毎回争奪戦にふさわしい人物が聖杯自身に選ばれているのは確かだから、今回、祐巳ちゃんに何らかの要因が

あって聖杯のお眼鏡に適ったのは間違いないはずよ」

 嘆息する祐巳をまっすぐ見つめて蓉子さまは説明を続けた。

「要因?」

「例えば、どうしても叶えたい夢、譲れない願いや野望とか。言い方が少し悪いかもしれないけれど、選ばれる要因、強

烈な想いや欲望、執念を持っていなければ、平凡が服を着て歩いているような祐巳ちゃんが選定候補に挙がること自体

ないと思うの」

 平凡が服を着て歩いてるって、私には特徴がないってこと? 緊迫した場面ではあったが、その言葉があまりにも言い

得て妙だったので、思わず苦笑がもれた。

「ともかく。今の祐巳ちゃんには選ばれる要因があって、それ故、聖杯に参加資格が与えられた。それだけは紛れもない

事実。どうしても理由が気になるのなら、勝ち残って直接聖杯に尋ねることね」

「聖杯って喋れるんですか?」

「どうかしら。それも直接会って確かめるといいわ」

 すまし顔でうそぶくと、蓉子さまは口に指を当てて、愉快そうに笑い声を上げた。重くなった場の空気をどうにかしたい

という配慮だったのかもしれないが、どん底まで気分が落ち込んでしまっている祐巳には倣って笑む余裕などなかった。

「この件について、ほかに質問はある?」

 黙り込んでいると、何でも聞いていいわよと質問を促されたが、この話題をこれ以上掘り下げて聞く気にはとてもなれ

なかったので、祐巳は静かに首を横に振った。

(もっと健全な大会だと思っていたのに……。こんな物騒な争いに、私が参加する……の?)

 憮然とした表情で目の前に置かれていた空のティーカップを見つめると、深く溜め息をつく祐巳だった。

 

 

第10章へつづく

  

 当初、祐巳ちゃんパートはしばらくほんわかムードで進めようかと思っていたんですけれど、それだとクロスオーバーし

ているFateの成分が希薄になってしまうような気がしたので、今章から“聖杯戦争”の雰囲気に寄せる意味も込めて、重

めの展開にシフトさせてみました。この先、マリみてらしいほんわかしたエピソードも入れていきますが、主要キャラの登

場に比例してハードな展開が増えていく予定です。本家のFateほどではありませんが、けっこうキツイ描写もあったりしま

すので、マリみて原作の雰囲気を大切にされている方はご注意ください。

 次回、もう1回だけ薔薇の館でのエピソードを描き、次々回で初期の祐巳編が終了します。

 

 

 

第8章novel top / 第10章

inserted by FC2 system