『Lilian/stay night?』

 

■第2章:12月12日(木) 14時05分 松平瞳子/『鏡の中のアクトレス』

私が私でなくなれば

   こんな人生をおくらずに済んだのかしら……?

 

 

「瞳子、これから稽古?」

 ホームルームも終わり、瞳子が荷物をまとめて足早に教室を出ようとしたときだった。その様を目ざとく見つけたクラス

メイトの乃梨子さんが声をかけてきた。

「ええ。新年早々の演劇部新春公演で、主役を務めるものですから」

 自分でもビックリするくらいの作り笑顔で答える。特に仲が良いクラスメイトではなかったが、乃梨子さんはことあるごと

に瞳子に声をかけてくる。しかも、馴れ馴れしく呼び捨てだ。

 呼び捨てに慣れてしまったので、今更敬称を付けろとは思わなかったが、友達面して話しかけてくるのだけはどうにか

して欲しかった。乃梨子さんの腹の中はともかく、瞳子は彼女に対して友達という認識を持っていないのだから。

「大変だね。まあ、気張りすぎないよう励みなよ」

「ありがとうございます」

 そんな瞳子の心中など知る由もなく、一方的に激励すると乃梨子さんは「ごきげんよう」と手をヒラヒラと振って教室を出

て行った。

(あなたに言われるまでもありませんわ)

 しばらくその後ろ姿を見送っていたが、心の中でそう呟くと、瞳子はきびすをかえして、乃梨子さんとは逆方向へと廊下

を歩き出した。

 別にイラついているわけではないのだが、廊下を進みつつ、なんだか胸がムカムカする。それは声をかけてくれた乃梨

子さんに対してではなく、円滑な学園生活をおくるために、"人当たりのいい"松平瞳子を演じている自分自身に対して

だった。

 せっかく好意で声をかけてくれた相手に顔で笑って、心で毒づくだなんて。まったく、私はどれほど性格がねじれてし

まっているのだろう。

 まさか私は、死ぬまでまわりの人間を、何よりも自分を欺き続けるつもりなのだろうか。鏡に映った歪んだ"いい子"を

演じ続けるつもりなのだろうか。そう考えるだけで、正体不明の吐き気が止まらなくなる。

 何故、こんなことになったのだろう。何故、自分だけ、こんな試練を受けなければならないのだろう。私が松平瞳子だか

らなのか。では、松平瞳子であることを放棄すれば、この苦しみから解放されるのだろうか。あの日、両親と別れること

にならなければ、私の人生は……。

 ギリと奥歯を噛みしめる。やめよう。いくら問答を続けても、どうせ答えなど出やしない。それに、いつだってこのことを

考えると、気持ちが滅入るだけで良いことなんてありはしないのだ。

 瞳子はギュッと両手を握り締めると、何かから逃避するようにやや早まった足取りで、部室へと向かった。

「失礼します」

 ノックをして部室の扉を開く。しかし明日まで期末試験期間なので、室内には部長はおろか部員の姿はひとりとしてな

かった。

 まあ、主役を演じる瞳子のことを快く思っていない同学年の部員や先輩部員も少なからずいるので、誰もいない方が

瞳子的には気が楽なわけだが。

 瞳子は部屋の隅にある長テーブルへ荷物を置き、中から『魔術師の黄昏』と書かれた芝居の台本、自家製のホットか

りんが入った水筒を取り出した。

「では、はじめようかしら」

 はちみつを加えて甘めに作ったホットかりんを一口含んで喉を潤すと、瞳子は台詞の稽古をするべく台本を片手に部

屋の中央へ。木の板に描かれた魔法陣の中央へと立った。

「ふう」

 両目を閉じ、胸の前で台本を抱きしめると軽く深呼吸。

それで"女優"スイッチが入り、瞳子は松平瞳子から今回演じる魔術師マーリンへと気持ちを切り替えた。

 

「告げる

   汝の身は我がもとに 我が運命は汝の剣に

      聖杯の寄るべに従い この意この理に従うならば応えよ

 誓いをここに

   我は常世すべての善となる者 我は常世すべての悪を敷く者

 汝三大の言霊を纏う七天

   抑止の輪より来たれ 天秤の守り手よ!!」(Fate/stay nightより抄出)

 

 小難しい単語が並んだ台詞だったが、イントネーションも間の取り方も完璧。まさに魔術師が乗り移ったかのような迫

真の呪文詠唱だった。本人も渾身の演技に満足いったらしく、思わず瞳子の口元には笑みが浮かんでいた。

 気を良くして台本のページをめくり、次の内容を確認する間、一瞬の静寂。続く台詞を目で追いながら読み上げようとし

たときだった。

 

どごーーーーん!!

 

 誰もいないはずの隣りの準備室でとてつもない轟音が響き、瞳子のいる部屋、というよりも部室の入っている建物が大

きく揺れ動かされた。

「何事ですの!?」

 刹那、台本を放り出すと、瞳子は轟音のした準備室へ続く扉へ向け、大またで駆け出していた。怖いもの見たさの好奇

心なのか、その動機は自分でもわからなかったが、己の中の無意識が、扉を開けろと囁いている気がしたのだ。

ゴクリっ……。

 鬼が出るか蛇が出るか。扉のノブへと手を掛けると、緊張のあまり喉が鳴る。瞳子は深く一息つくと、ノブをひねって思

いっきり扉を押し込んだ。だが。

「……開かない」

 扉はほんの数センチ動いただけで止まってしまった。引く扉だったかしらと、引いてみるも、今度はドア枠のストッパー

に引っかかって1ミリも動かない。

「……」

 もう1度押してみたが、やはり扉は数センチ開いたところで、ゴンっと音を立てて止まってしまう。どうやら、向こう側で何

かが扉を塞いでしまっているようだった。

「もう、小癪な扉ですわね」

 開かぬ扉を睨みつけて毒づいてみるが、それで扉がなんらかのリアクションを見せるわけもない。

 少しの間、しつこくノブを押し込んでいたが、小柄な自分にこれ以上の腕力などないことを誰よりも理解していた瞳子

は、これ以上続けても無駄と悟り、力を込めていた手をノブから離した。しかし。

「そちらがその気でしたら、こちらにも考えがありますわ」

 開かずの扉を押し開くことを諦めたわけではなかった。瞳子は、少し距離をとると、扉に向かって全力疾走。まさに身

体ごと扉に体当たりした。

「痛ったーぃ」

 すさまじい衝撃と、想像以上の痛みが扉と衝突した腕と側頭部に走る。だが、それなりの威力はあったようで、びくとも

しなかった扉が10センチ以上押し開かれていた。その隙間から、横倒しになっている大きな観葉植物の鉢植えが見え

た。

「もう1度体当たりすれば開きそうですわね」

さっき強打した腕をさすりながら呟くと、瞳子は再度距離をとって、扉へ向かって体当たりを敢行した。

ガッ

「わっ」

 全力で体当たりをすると予想よりも簡単に扉は押し開かれ、勢い余った瞳子は準備室へとまさに転がり込んだ。

「もう、最悪……」

 立ち上がりつつ制服についた埃を払う。

 カーテンが閉められた薄暗い部屋を一瞥すると、舞台で使う書き割りや家具などが乱雑に置かれているのが薄明かり

の中、確認出来た。入ってきた扉の方を見ると、見たこともない植物が植えられている作り物の大きな鉢植えが転がっ

ていた。どうやら、それが扉を押さえていた犯人だったようである。

 しかし、転がった鉢植え以外、室内に変わったところは見受けられなかった。

「おかしいですわね。あれだけの轟音を響かせておいて」

 怪訝に思いつつ瞳子は窓辺へ行ってカーテンを思いっきり開けた。刹那、陽の光りが一気に射し込み、部屋の全容が

あらわになった。

 10畳ほどの室内に乱雑に置かれている芝居道具の数々。お嬢さま学校の一室とは思えないその乱雑ぶりは、先ほど

薄明かりの中で見た光景と変わりなかった。しかし、何か違和感を感じて瞳子は改めて部屋中を見回した。すると、ただ

一点、薄明かりの中では気がつけなかった箇所を発見し、そこへ視線を釘づけた。

 天板が破れ、観音開きの扉が不自然に砕け散っている舞台道具の衣装タンス。部屋の奥まったところに置いてあった

ので気がつかなかったのだが、こんな壊れた衣装ダンスを使った芝居をした記憶もする予定もない。更に、家具周辺の

床を見ると、そこだけ床板がえぐれ、隕石でも落ちてきた跡のように大きく陥没していた。恐る恐る天井を見やると、何か

に突き破られたような穴が大きく開いており、小さな瓦礫をパラパラと降らせている。

「……」

 だが、瞳子を1番驚かせたのは、そこではない。壊れたタンス……、に悠々と腰掛けていた人影だった。

「やれやれ。どうやら私はとんだじゃじゃ馬に呼ばれてしまったようね」

 瞳子と目が合うと、座っていた人影は、ニヤリと笑んでそう呟いた。

 その人物は、ふんわりとしたミディアムボブが印象的な女性。白いタートルネックのセーターにデニムのタイトスカート。

黒いタイツにショートブーツといういでたちで、困惑して立ち尽くしている瞳子のことを愉快そうに眺めている。

「どちら様です?」

 瞳子の知らない女性だった。制服姿ではないので、リリアンの在学生でないことは見て取れるが……。演劇部の

OG? それとも新任の顧問? だとしたら、なぜ準備室に? 短時間に様々な想像が頭の中を巡ったが、憶測で答えを

出すのは危険と思った瞳子は眉をひそめると、あからさまに不審そうな表情で用心深く尋ねた。

「どちら様とはご挨拶ね。私はあなたに召喚されて現臨したんだけど」

「は?」

 召喚とか現臨とか、この人は何を言っているのだ?

(ひょっとして、危ない人?)

 そう思った途端、無意識に瞳子は腰が引けてしまった。見知らぬ人物でもOGや教師ならば安心出来るが、初対面の

人間に召喚云々言ってしまう不審者ではそうも言っていられない。

「あれ、もしかして、私のこと不審者って思ってる? 心外だなあ」

「じゃあ、あなたは何者なんです?」

 危険を察知した身体は瞳子の意思に反して小刻みに震え、腰も相変わらず引けていたが、それでも気迫では負けま

いと、瞳子は下腹部へ力を込めて女性を睨みつけた。

「そんなに睨まなくても大丈夫。別にあなたを捕まえて宇宙へ連れ去ろうだなんて考えていないから」

 そんな瞳子に対し、女性はにへらとしまりのない笑みを浮かべると、右手をパタパタと左右に振って見せた。その様子

は緊迫感の欠片もなかったが、あまりの緊迫感のなさに逆に怖くなり、瞳子の額に大量の汗が噴き出した。

「はぐらかさないで答えてくださいっ!!」

「あ、ゴメン。私はスールになるため、あなたに召喚されて現臨したサーヴァントよ」

「…………は、い?」

 

第3章へつづく

 

 今回は、ふたり目のマスター、瞳子ちゃんの登場。彼女の過去への負い目を絡ませつつ、原作では見られなかった

瞳子ちゃんのじゃじゃ馬な側面も描いてみました。

 この先、どんな展開が彼女を待ち受けているのか。サーヴァントの正体、掛け合いも含み、ご期待いただければと思い

ます。もちろん、マリ見てで御馴染みの登場人物も、少しずつ出始めますので、そちらもお楽しみに。

 

 ちょっとだけ補足。

 サーヴァント召喚に使用した呪文ですが、あれはアニメ版Fateで凛がアーチャーを召喚したときに詠唱していたもので

す。耳コピーなので、違う箇所があるかも?

 

 

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