『ふたりの夏を忘れない』

 

〜中編〜

 

 そこには私のお姉さま、佐藤聖さまがいらっしゃった。

 確かここには、カトウケイさんというリリアン女子大の新入生が寄宿しているはず。弓子さんはそう言っていたと思うの

だけれど、もしかして私の聞き間違いだったのだろうか。本当は、佐藤聖、お姉様が寄宿されているのだろうか? だと

したら、私はお姉さまのお部屋にお邪魔してしまったのか……?

 

 困惑と同時に、勝手な想像が膨れ上がり、思わず赤面。暑さとは無関係の汗が、上気した顔中から一気に吹き出てき

た。両手もかすかに震え、お盆にのった銀のスプーンがカチャカチャと音をたてている。

「まあ、立ち話もなんだから入んなよ」

 入り口で立ち尽くしている私の心情など知る由もなく、一足先に我に返ったお姉さまは、部屋の隅から座布団を引き寄

せて私を手招きした。

「は、はい」

 予想外だったことに加え、お会いするのも久しぶりだったので、変な緊張感に囚われている自分がいる。胸の鼓動を

実感しつつ部屋へ入ると、用意してくれた座布団へ腰を下ろした。お姉さまの真正面だったので、余計に緊張してしま

う。

 

「ここの家主、加東さんとはお友達なんだ。たまたま遊びに来たら学校の図書館で調べ物をしてくるから少し留守番して

いてくれって頼まれちゃってさ」

 あぐらをかきながら「やれやれだよ」と状況説明。団扇をパタつかせるお姉さま。そのお姿は、紛れもなく自分の知る佐

藤聖さま。昔と変わらないお姿を目の当たりにしたら、変な緊張に囚われていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてきた。

「で、志摩子はどうしてここへ? まさか加東さんとお知り合いっていう衝撃的な展開?」

 ニヤリと笑むと、お姉さまはそう問いかけてきた。私の抱いていた疑問同様、お姉さまも私の登場が気になっていたの

だろう。

「実は……」

 私は祐巳さんのスイカのこと、弓子さんにお茶をご馳走になったこと、ケイさんにスイカを差し入れに来たことなど、ここ

までの経緯を簡潔に説明した。脇に置いておいたスイカのお盆をお姉さまの前へ押し出しつつ。

「へー、祐巳ちゃん味のスイカかあ! それじゃあご相伴に与らないわけにはいかないね」

 いえ、祐巳さんの味はしないと思います。とは突っ込まないでおいた。一方で、未だに祐巳さんの話題になるとご機嫌

になるお姉さまを見て、ちょっとだけ胸がキュっと締め付けられた。

 

 ニコニコ顔のお姉さまはスイカ1切れを取り上げ、お塩を振り掛けると早速ガブリ。満足そうに頬張った。もともとはケイ

さんへの差し入れだったが、2切れあったし、お姉さまが1切れ食べても問題ないかな。と思っていたら、

「志摩子も食べなよ。甘くて美味しいよ」

 と、お盆に残った1切れを差し出してきた。

「ですが、加東さんの分が……」

「いいのいいの。人に留守を任せて出て行っちゃったんだからその罰。タイミングが悪かったと思って諦めてもらいま

しょ」

 悪戯っぽく笑んでウインク1つ。心底楽しそうに笑むお姉さまのお姿を眺めていたら、何だかこちらも可笑しくなってしま

い、私も一緒になって笑みをこぼした。

 

 しかし、本当に美味しそうに召し上がっていらっしゃる。手にしたスイカの頂点を、はむっとかじりながらそんなことを思

う。こんなに美味しそうに食べていただけると、重い思いをして運んで来た甲斐がある。都合が良いかもしれないが、あ

そこでスイカを託してくれた祐巳さんに感謝せずにはいられなかった。

 

 暑さもピークの昼下がり。窓の外からは蝉の声。窓辺の風鈴が時折たてる涼やかな音が心地良い。

 

 部屋にあったエプロンを借りて、私は食べ終わったスプーンやスイカの汁まみれになったお盆を洗おうと流しの前に

立った。背後では、お姉さまがしばらく団扇を仰ぎつつ外の風景をぼんやり眺めていたが、やがてゴロンと寝転がると、

さっきと同じように窓の外へ素足を投げ出していた。

 

 思いもよらずお姉さまと過ごす事になった午後のひと時。ひとつ屋根の下でふたりきりという非現実的なシチュエーショ

ンのせいだろうか。現状を再認識した途端に、私の胸は緊張とは別な、正体不明のドキドキで今にも破裂しそうになっ

た。なぜだろう。薔薇の館でもふたりきりのときはあったし、今までこんな気持ちになったことなどなかったのに。 

 生ぬるい水道水でスプーンを濯ぎながらチラリと横目でお姉さまを見やった。

 

 どくん。

 

 心臓が大きく跳ね上がる。間違いない。確実に私はお姉さまを意識していた。

 

 新婚さんはみんなこんな感じなのだろうか。新婚さんってことは、私がお嫁さんでお姉さまが旦那さま? そしてこの部

屋が私たちの愛の巣で、今日が結婚初夜? じゃなくて、私は何を考えているのかしら……。

 自分でもビックリするような妄想に顔を真っ赤にすると、慌ててお姉さまから視線を外す。もう訳がわからない。血が上

りきった頭では冷静な思索もままならない。私は妄想を振り払うように頭を振って、両手で頬をペチペチと叩いた。それ

でモヤモヤした気持ちが完全に払えたわけではなかったが、さっきより冷静さは取り戻すことが出来た気がした。

 

「志摩子ー」

 洗い物を終え、エプロンを外していると、寝転がったままのお姉さまから声が掛かった。

「は、はい」

 暴走気味な妄想のおかげで変に意識してしまう。裏返りそうな声をかろうじて押さえつけた奇妙な声で私は返事をし

た。

「洗い物終わったらさ、こっち来なよ。久しぶりにお話でもしましょ?」

 お姉さまの方を伺うと、寝転がったまま腕だけを上げて手招きしていた。自分の中に湧き上がった正体不明の感情に

不安を覚えたが、私はお姉さまの待つ部屋へ行き、傍らに腰を下ろした。未だ火照る頬を隠すように両手で押さえつつ。

 

「この部屋さ、冷房機器がないから嘘みたいに暑いんだよね」

 外の景色を眺めたままでお姉さまは言った。部屋を見回してみると、確かにエアコンも扇風機も見当たらなかった。

「だから、さっきからずっとこうしてるわけ」

 顔を傾けて私を見ると、お姉さまは窓の外に出ている自分の足を指差した。

「こうしてるとね、木々の間を抜けてきたそよ風が当ってさ、すごく気持ち良いんだ」

 ニっと笑みを浮かべて、伸ばした脚をバタつかせて見せる。なるほど。さっき窓から飛び出していた足は、そういうこと

だったのかとここへ来て納得した。

「志摩子もやってみなよ。気持ち良いよ?」

 不意にお姉さまはそんなことを言ってきた。

「え、私もですか?」

 唐突だったので思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。確かにお姉さまのお姿を見ていると涼しそうではあるのだけれ

ど、少々お行儀が悪いような気もしてしまう。いや、お行儀抜きにしても……。

「ん、どうした?」

 私が返事をしかねていると、不思議そうな顔でお姉さまが尋ねてきた。それでも私は言い淀んでいたが、ずっと顔を覗

き込んでいるお姉さまの瞳にも「どうした?」と尋ねられている気がしたので、根負けするカタチで私は口を開いた。

「やりたいのは山々なんですけれど……。私、今日ワンピースですし、あの、見えてしまいます……その……」

 まさに消え入りそうな声。言った瞬間、火照りっぱなしの顔から火が出るかと思った。お姉さまには、庭の先は塀だし誰

も見ていないよと笑われてしまうと思った。だけど。

「あ、ゴメン気がつかなかった。ちょっと待ってて」

 うつむいて膝の上で両手をギュッと握っている私の傍らで立ち上がると、お姉さまは私の頭を軽く撫でて部屋の奥へと

向かっていった。顔を傾けてそのお姿を追うと、押入れを開け、何やら引っ張り出していた。何と言うか、まさに勝手知っ

たるなんとやらである。

「これを膝に掛けておけば大丈夫だと思うよ」

 お姉さまが差し出したのは、薄桃色のタオルケットだった。私は、そこまでして足を出して涼を得たいとは思っていな

かったのだが、お姉さまの心遣いが嬉しかったので「ありがとうございます」とそれを受け取った。

 

 半分に折ったタオルケットを膝に掛けると、スカートの裾も押さえられて、きっちりガード出来た。私は、先に寝転がって

いたお姉さまの横に並んで畳へ寝そべり、見よう見真似て足を投げ出してみた。

 お姉さまの隣りに並ぶようにして窓の外へ飛び出した私の両足。最初はそれだけで緊張してしまったが、強い日差しが

照りつける素足に涼風が吹きつけた瞬間、そんな緊張は吹き飛んでいってしまった。

「気持ちいい……」

「でしょ」

 吹き抜ける風は、確かに微かなものであったが、冷房のない部屋で熱を持った身体には十分すぎる心地良さだった。

お姉さまが薦めてくださった意味がようやく理解出来た。お腹の上で組んでいた手の汗もいつしか引いている。私の感想

を聞いたお姉さまは、隣りで嬉しそうに微笑んでいた。

 

 私たちは、しばらく並んで涼を満喫していた。その間、まったく会話は交わさなかったが、実に心地が良い時間。涼はも

ちろんだったが、お姉さまと昼下がりのひと時を共有していることが何よりも嬉しく思えた。

 

 自分らしからぬ感情に少し戸惑いはしたが、こういう関係も悪くはない。もしかして、以前からお姉さまとのこういう関係

を望む自分がいたのだろうか? プラトニックな関係、その存在こそが私の支えと思い込んでいたが、心の奥ではお姉さ

まのぬくもりを欲していたのだろうか。

 

 答えを求めるようにお姉さまの方へ頭を傾けたときだった。私は頭の下にある"何か"に気がついた。横になったときに

座布団を枕代わりにした記憶はないし、何だろう……?

「あっ!」

 怪訝に思い確認すると、それは伸ばされた腕、お姉さまの腕枕だった。知らぬ間に自らの腕を伸ばして、私に腕枕をし

てくれていたのだ。

 気づいた私は慌てて頭をどかそうとしたが、

「そのままで。好きでやってるんだから付き合って」

 瞬間、動揺したが、私は静かに頷くと、ゆっくりと頭を元の場所に、お姉さまの腕の上へ戻した。お姉さまの腕枕とわ

かった瞬間、何ともいえない安心感が全身を包み込んだ気がした。

 

 窓の外、2羽のスズメが寄り添うように電線にとまっていた。愛し合う2人のように身を寄せ合うスズメたち。真夏の炎天

下でさぞ暑いだろうに、それでも暑さとは違うところに2羽の気持ちはあるような気がした。やがて、2羽のスズメは連れ

立って飛び去っていった。

 

 私は身体を動かすと、少しだけお姉さまの身体に寄り添った。何故そうしたのか自分でも良くわからなかったが、無性

にお姉さま、佐藤聖という人が恋しくてたまらなくなっていた。

 すると、私の気持ちが伝わったのか。枕になっていた腕を折り曲げて、お姉さまは私の頭を優しく撫でてくれた。

 

「お姉さま……」

 夢なら覚めないで。

 目を細めて見つめているお姉さまを身近に感じながら、私は素直にそう思った。

 

 

後編へつづく。。。

 

 

 中編いかがだったでしょうか。

 本人にも正体がわからない聖への想いに戸惑う志摩子。ちょっと志摩子らしからぬキャラ描写かなとも思いましたが、揺れる志摩子の想いを何とか描きたかったわけでございます。。。

 ふたりの愛の巣に選んだのは、景さんの下宿先。

 志摩子の部屋、聖の部屋、いろいろと考えたんですけれど、自然(?)な流れで持っていくには景さんの部屋を借りちゃうしかないかなって(笑)。

 景さん、家主の留守中にラブラブ事件勃発でゴメンなさいね。

 よろしければ、感想をお待ちしております。

 

 さて、次回はいよいよ佳境に突入です。

 キーワードは新婚初夜。うまく心理描写が出来るか不安ではありますが、愛し合うふたりの姿を頑張って書きたいと思っております。予定通りお盆中に公開出来たら褒めてくださいね(笑)。

 

 ちなみに、R15指定です。

 コッソリとここまで読んでしまったU15の皆さんは、次回だけは読まないようにしてくださいね。

 

 

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