『ふたりの夏を忘れない』

 

〜前編〜

 

 夏休みのある日。

 

 祐巳さんの田舎から送られてきたスイカを持って私、藤堂志摩子は8月の空の下を歩いていた。

 

 祐巳さんが、スイカをお世話になった知人へお中元代わりに届けたいということで、同じくおすそ分けに与った私も、そ

のお返しがわりにお付き合いすることになったのだ。

 

 お知り合いは、リリアン女学園の近くに住んでいらっしゃるらしい。一瞬、由乃さんかとも思ったのだが、彼女は祐巳さ

んのお宅へ遊びに行ったときにたらふく食べたので、おすそ分けは辞退したのだとか。

 

 リリアン女学園の前でバスを降りると、ここまで来たついでに薔薇の館に忘れていた手帳を取りに行きたいということ

で、祐巳さんは網に入った大玉のスイカを私に託して、リリアン女学園へと行ってしまった。

 早く戻ると言っていたけれど、夏休みで正門は閉じられている。守衛さんに声をかけて身分証明書を提示したり私服で

の仮入園の手続きしたり。どう見積もっても通常の3倍以上の時間はかかるだろう。

 

 祐巳さんはバスの停留所に座って待っていてと言っていたけれど、屋根付きのベンチでも猛暑の中でじっと待っている

のは苦痛なものだ。だから、私は祐巳さんが戻るまで少しでも距離を稼いでおこうと思い、別れる間際に書き示しても

らった知人宅までの地図を見ながら、陽炎が揺らめく炎天下、アスファルトを踏みしめて歩きだした。強い日差し以上

に、スイカの入った網が手に食い込む重さに苦戦しつつ。

 

 ベージュのクロッシェと白いワンピース、ストラップが三つ編みになっているサンダル。歩きながら、一瞬、避暑地を散

策するご令嬢に見えるかしらなんて思ったが、残念ながらここは東京都内で自分も令嬢には程遠いお寺の娘であった。

 ちなみに、持ってきた日傘は、スイカを持つのに両手がふさがっていたので、無用の長物と化して肩に掛けたバッグの

中に納まっていた。絶好の活躍日和だというのに。

 

 目的のお宅は、学園からそう遠いわけでもなく。蜩の大合唱を聞きながら地図を参考に路地を曲がり、しばらく進んで

いくと、程なくしてたどり着くことが出来た。

 住宅街に突如として現れるお寺の門が目印とは祐巳さん曰く。

 言い得て妙だった。まさに今、私の目の前には、お寺の山門と見紛うほど立派な門扉が威風堂々とした佇まいでその

姿を現していた。

 

 自分と面識のないお宅だったので、門の横で祐巳さんの到着を待とう。歴史のありそうな門扉を眺めながら私はそう

思った。

「ふう」

 バッグから何とかハンカチを取り出すと、汗の浮かんだ額に当てる。近いようで実はバス停2つ分くらいは歩いてきたか

なと道中を振り返りつつ。

「よいしょ……」

 ハンカチをしまってスイカの入った網を持ち直していると。

「あら、お客様? どなただったかしら?」

 通りの方から不意に声が掛かった。慌てて視線を巡らせると、そこには1人の老婦人が立っていた。スーパーの袋を片

手に、首を傾げて不思議そうに私の顔を見つめている。

「こんにちは」

 私は、笑顔で会釈しながら考えた。このご婦人が祐巳さんのお知り合いなのだろうか。少なからず、この家の方のよう

だけれど。一瞬戸惑ったが、迷っていても仕方がなかったので、私は目の前の老婦人へ掻い摘んで事情を説明した。

 

 事情を知ると、老婦人は私を快く迎え入れてくれた。この方が祐巳さんのお知り合い、池上弓子さんだったのだ。

 弓子さんに先導されて扉を潜ると、広い庭に敷き詰められた敷石を踏みつつしばらく進んでいく。すると、手前に母屋と

思しき建物、奥にこじんまりとした離れが現れた。

「さあ、どうぞ」

「お邪魔致します」

 促されて母屋へお邪魔する。持参したスイカをキッチンへ運び、ようやく一息ついていると、弓子さんは「重かったでしょ

う」と労いの言葉と共に縁側に面した和室へ案内してくれた。

 畳張りの和室に西洋のテーブルセットという組み合わせが何だか小洒落た感じのリビング。私は勧められるままに椅

子へ腰を下ろすと、縁側の外に広がる庭に視線を送った。

 様々な植物が折り重なるように群生している風変わりなお庭。こういう趣向なのか手付かずなのかはわからなかった

が、この混沌とした空間はまさに一切衆生が如く。などと、どこか仏教的な思考を持ち出してしまった自分に苦笑が洩れ

た。もともと父から聞いた言葉だったが、思わず出てきてしまったのは、仏像好きな乃梨子の影響も少なからずあったか

もしれない。夏休みの前半は、ふたりで仏像巡りをしていたから。

 

「藤堂志摩子さんとおっしゃるのね」

 出していただいた紅茶とお茶請けのクッキーをいただきながら、しばらく弓子さんと話し込んだ。弓子さんもリリアンの

卒業生ということで、スールや山百合会など共通の話題で会話に華が咲いた。穏やかな笑顔と柔らかい物腰が印象的

な女性だ。祐巳さんたちから聞いた『いばらの森』の作者、須加星さん然り、乃梨子の大叔母 菫子さん然り、リリアンの

卒業生には素敵な人が多いように思えた。

 

「あなたが現役の白薔薇さまなの!? 薔薇さまとお喋り出来るなんて何て素敵なんでしょう」

 山百合会の話題になったので、自分が現白薔薇だという話をすると、弓子さんは私の両手をとって、うっとりとした顔を

した。弓子さんの在学中から薔薇さまは羨望の的だったという。瞳までキラキラさせて、私をまっすぐに見つめている弓

子さん。正面から直視されてちょっと恥ずかしかったが、今も尚、ときめく心を持ち合わせている弓子さんがとても素敵に

思えたので、私もとびっきりの笑顔で応えた。

 

ガラリ……。

 

 もうどのくらい話をしているだろう。「祐巳さんまだかしら」なんて思いながら、2杯目のお茶を戴いていると、庭の先、離

れの方から窓を開くかすかな音が響いてきた。

 ちょっと気になったので、視線を庭に向けて確かめようと思ったのだが、この部屋からは離れを見ることは出来ない。

「そういえば景さん、課題の追い込みだって言っていたわね」

「ケイさん?」

 離れの住人のことだろうか。私が小首を傾げていると、それを察した弓子さんがケイさんについて話してくれた。

「離れに寄宿しているお嬢さん。加藤景さんって言うの。今年からリリアン女子大へ通っている学生さんなのよ」

「カトウさん。リリアン女子大、ですか……」

 その名前を聞いて私はドキッとした。カトウケイとサトウセイ。大切な人と名前が酷似していたものだからつい。そういえ

ば、お姉さまもリリアン女子大に進学されたんだった。元気でやっていらっしゃるだろうか。そんなことを考えていたら、脳

裏に屈託のない表情で微笑んでいるお姉さまの姿が浮かんだ。私は無意識に口元をほころばせていた。

 

「そうだわ」

 つい自分の世界に浸ってしまっていた私を、弓子さんの声が現実に引き戻した。慌てて目を向けると、弓子さんは軽く

両手をポンと合わせて、私の顔を見つめていた。

「ど、どうかされましたか?」

「志摩子さんと言ったかしら。申し訳ないのだけれど、スイカを差し入れてもらえないかしら」

 すでに差し入れたスイカを差し入れる? 最初は意味がわからなかったが、どうやら離れに届けて欲しいということらし

い。

「ええ、かまいませんよ」

 お茶をご馳走になったせめてものお返しになればと、私は笑顔で了承した。

「ごめんなさいね。お客様を小間使っちゃって」

 そう言って微笑む。ちょっとだけ確信犯だって思ったけれど、あんなチャーミングな笑顔でお願いされたら、例えお茶を

戴いていなくても「はい」と答えてしまう。弓子さんには人を魅了する不思議な魅力があるように思えた。

 弓子さんは一旦キッチンへ姿を消すと、数分後、8分の1にカットしたスイカ2切れとスプーン2本、お塩の小瓶をお盆に

載せて戻ってきた。

「じゃあ、お願いするわね」

 それを受け取ると、私はサンダルを引っ掛けて離れに向かった。

 

 このスイカ、キッチンへ運んだときに水を張った桶に入れて、話している間ずっと冷やしていたのだが、この猛暑。おそ

らく十分には冷えていないだろう。だけど、夏の風物詩だし、涼を楽しむには十分。2切れあるということは、1切れは私の

分なのだろうか。

 そんなことを考えながらお盆から視線を上げると、離れの左側面にある窓から白いモノがニュっと飛び出ていることに

気が付いた。最初、ギョッとして何事かと思ったが、冷静になって見直したら、人間の足だった。窓から飛び出した2本の

足。家主は何をしているのだろう。涼でもとっているのかしら……?

 

 だんだんと近づいてくる足を見つめながら石畳を進んでいると、やがて離れに到着。私は片手でうまい具合にお盆を支

えると、一息おいて玄関の扉をノックした。

「はーい」

 暑さでバテ気味だったのか。少し間延びした声が扉の向こうから返ってきた。

「鍵開いてるんで勝手にどうぞー」

 さらに間延びした声は、そんなことを言ってきた。私は一瞬躊躇したが、ここで立っていても仕方がなかったので、静か

に扉を開けた。

「お邪魔致します」

 開けっ放しの引き戸の先に人の気配がしたので、そちらへ向けて声をかけると、サンダルを脱いで室内へと足を踏み

入れる。壁の陰になって見えなかったが、家主のケイさんは、まだ足を窓に掛けて寝転がっているのだろうか……。リリ

アンの学生だから、お上品なイメージがあったのだが、随分ラフな人のようだ。

「あの、大家さんに頼まれまして、スイカの差し入れに参りました」

 部屋の入り口で軽く会釈をする。すると、

「え、スイカ!?」

 予想通り横になっていた家主が、スイカという単語に反応して跳ね起きた。

 起き上がった家主を控えめに観察する。腕まくりをした長袖の開襟シャツに素足のジーンズ姿。片手には団扇。すらっ

とした長身で短い髪が印象的。西洋人を連想させる掘りの深い顔立ちは、どこかで見覚えがある、というか……。

「あれ、志摩子!?」

 私より先に声を上げたのは、待ち構えていた人の方だった。驚き顔のままで表情を硬直させると、こちらをじっと見つ

めている。

「お、お姉さま!? どうしてこちらに?」

 目の前にいたのは、カトウケイなる人物ではなく、サトウセイ。私の大切な人、お姉さまだった。さっきのお姉さま、いや

それ以上に気が動転してしまった私の頭の中はパニック寸前。何かを言おうとパクつく口からは二の句が出てこなかっ

た。

 だが。どんなにパニックを起こそうとも、目の前にお姉さまが確かにいらっしゃる。それだけは揺るがぬ事実だった。

 

中編へつづく。。。

 

 夏らしい話を。ということで考えたんですけれど、結局、夏らしいのはスイカくらい。更に中・後編と進むにつれて、季節感も薄まってしまうような予感も。じゃあ、夏にすることなかったんじゃない? まあ気にせずいきましょう。オイオイ……。

 ともかく、中編から志摩子×聖のお話へ突入です。

 今回は導入部ということで、聖さまはラスト数行だけの登場でしたが、中編以降、お互いの存在を確かめ合って ふたりの世界へ突入していきます。

 

 

novel top中編

inserted by FC2 system