『島津由乃のスポーツ大将? “夏”』

 

■前編:暑いぜ!

 7月初旬。某日昼下がり。

 照りつける強烈な陽射しを全身で受け止めながら、由乃は駅前の百貨店へ続く歩道をまるで牛の様なスピードでのっ

そりと進んでいた。

「あ・つ・い……」

 暑い。暑すぎる。梅雨も明けて本格的な夏が来たからといって、こんなに暑くなることはないだろう。

 ワンピースにサンダルという涼しげないでたちで家を出たものの、見た目が涼しげなだけで本人が涼しさを自覚するこ

とは叶わなかった。こんなことならば、日傘をさしてくればよかったと思ったが、自宅より目的地の方が近くった今頃後悔

しても後の祭りにすらならない。

「はあ」

 陽射しもさることながら、アスファルトからの照り返しも容赦ない。おそらく体感温度は35度どころではないのではなかろ

うか。そんな考えなくてもいい事まで考えてしまったせいで、余計に全身がだるくなった気がする。自然と歩む足取りも重

くなった。

「熱中症になったらどうしてくれるのよ」

 なんて毒づいても、今日は聞いてくれる令ちゃんも傍にはおらず。無駄に体力を消耗するだけ。由乃は、タオル地のハ

ンカチをバッグから取り出すと、汗ばんでいるおでこに当てた。だが、一瞬、汗を吸収してくれただけで、ハンカチを離す

と間をおかずに汗がとめどなく吹き出てきた。

「スイカもカキ氷も好き。花火も盆踊りも大好き。高校野球も世界陸上も。この季節、四季の中でも好きな方なんだけれ

ど、この暑さだけはどうにかして欲しいわ……」

 前方を見やると、歩む歩道の300メートルほど先に信号が見える。あそこの交差点を左に曲がってバスのロータリーを

過ぎれば、百貨店へ繋がっている地下街への入り口だ。地下街へ入りさえすればエアコンもバッチリ効いているので、

百貨店に入っているお目当ての大型書店まで快適に進むことが出来る。

 だけど。暑さで頭も少しクラクラするし、この炎天下の中、無事にそこまで行ける気がしない。いや、もちろん本当に行

けないほどヤワではないのだけれど、これだけ暑いと、行くまでに熱中症でダウンなんてことも、なまじ冗談ではなくなっ

てくる。

「ん?」

 ボンヤリと進行方向だけを見つめつつ、頼りない足取りで歩いていた由乃の瞳に、あるモノが映った。

「……夏季限定 ひんやりメロンフェア開催中……」

 メロンのカキ氷、3種のメロンパフェ、夕張メロンソフト、メロンフロートなどなど、涼しげな写真と共にメロンスイーツのメ

ニューが書かれたホワイトボード。少し先の喫茶店が店先に出していたオススメメニューの看板だった。

「めろんぱふぇ……」

 店の前まで来ると、由乃はボードに張られていたメロンスイーツの涼しげな写真に目を釘付けた。

「おいしそう……」

 ゴクリと、無意識にカラカラの喉が音をたてる。刹那、由乃はバッグから財布を取り出した。

「薄桜記は上下巻とも650円……。手持ちが1600円でパフェが750円……」

 思いもよらず砂漠のオアシスを発見した由乃は、あれこれと悩むことなく喫茶店への突撃を決意。あわただしく資金の

工面をはじめた。この極限のタイミングで喫茶店が登場するだなんて、神様が差し伸べてくださった救いの手としか考え

られないわ。なんて屁理屈を付け加えつつ。

「うーん、ギリギリいけるかな」

 出かける前に確認したのと変わりなく、財布の中には全財産の1600円。これで新刊の薄桜記の上下巻を買うつもりで

いたのだけれど、2冊買う予定のところを1冊で我慢すれば涼しい店内で冷たいスイーツに舌鼓を打つことが出来る。

帰ってからのお楽しみが半分になってしまうけれど、このまま炎天下を歩き続けてミイラ化してしまうよりも何百倍もまし

だ。

「よし!」

 財布をバッグへ戻すと、グッと握り拳をかためていざお店へ。さっきまで暑さでへばりかけていたとは思えないほど、そ

の表情は輝いていた。

「パフェ〜パフェ〜♪」

 しかし、ルンルン気分で足を踏み出した瞬間、不用意にも向こうから歩いて来た人と軽く肩がぶつかってしまった。

「あ、すいません」

 浮かれすぎてまわりも見えなくなっちゃうなんて私は子供か! などと自分へ突っ込みを入れつつ、謝罪してすばやく頭

を下げる。冷や汗をかいたおかげで、さっきとは違う意味で暑さを忘れることが出来たが、もちろん今は暑さ云々言って

いる場合ではない。

「あ、いえ、大丈夫です」

 深々と頭を下げていると、相手に向けた由乃の頭頂部にそんな声がかかった。ぶつかった相手の顔を確認する前に

頭をさげてしまったので、被害者がどんな人物かわからなかったのだが、声を聞く限り女性、しかも比較的若い子の声に

感じられた。

 相手が強面の中年男性や、高級風な壷を抱えたぶつかり屋さんでなかったことにまずは一安心。これで、「慰謝料払

え!」などと言われなくて済む。なんて、頭を下げたまま胸を撫で下ろしていると、

「頭をあげてください、黄薔薇さま」

「え?」

 相手から意外な言葉が飛び出したので、由乃はバネで弾かれた玩具のような勢いで、さげていた頭を持ち上げた。

 「ああ、あなたは……」

 目の前には見知った女の子が立っていた。リリアンの制服を着ていなかったので、一瞬誰だかわからなかったのだけ

れど、この顔は薔薇の館で確かに見たことがある。ただ。ただ、顔は覚えているのだけれど肝心の名前が出てこない。

(あれ、この子、何て名前だっけ? 真美ちゃんじゃないし、笙子ちゃんでもない……。田中姉? いやいやいや)

「ご無沙汰しています。細川可南子です」

 小難しい顔をしたまま無言で見つめていると、それで察してくれたのか。女の子は苦笑混じりに自ら名乗ってくれた。

「ああ、可南子ちゃんだ!」

 言われてようやく思い出した。リリアン女学園に通っている2年生、細川可南子ちゃんだ。最近はあまり会うことがな

かったけれど、昨年秋の学園祭前などは、臨時アシスタントとしてよく薔薇の館へ手伝いに来てくれていたっけ。

(っていうか、祐巳さん騒動の中心人物だったのに、少し会わなかっただけでコロッと忘れちゃうだなんて、なんか駄目す

ぎでしょ私……)

 なんともバツが悪い。『いや、ちゃんと覚えていましたとも』と、誤魔化し笑いを浮かべつつ、由乃は背の高い後輩の顔

を見上げるように見つめていた。すると、目が合った可南子ちゃんは、ニッコリと微笑んで御馴染みのご挨拶。

 それで助けられた。由乃もそれに「ごきげんよう」と返すことで、なんとなく心に余裕を取り戻すことが出来た。『ま、結果

オーライよね』と、都合の良い様に割り切っただけなんだけれど。

 改めて可南子ちゃんの姿を見ると、Tシャツにジーンズにキャップという実にスポーティーないでたちだった。今まで制

服姿しか見たことがなかったけれど、普段はこういうカジュアルな服を着ているんだ。令ちゃんと同じくらい背が高いから

カッコよく見える。

 服や身長ばかりに気をとられていたが、手には大きな紙袋をぶら下げていた。駅前の百貨店のロゴが入っている紙

袋。百貨店へ行ってきた帰りだろうか。自分もだが、こんな暑い日にご苦労なことだ。

「百貨店行って来たの? バーゲンセールかなんか?」

 だったら、本屋のついでにちょっと覗いてみようかしら、お金はないけど。なんて思いながら由乃は尋ねてみた。

「いえ。バッシュを履き潰しちゃったんで新しいのを買って来たんです。今度、試合があるものですから」

「ふーん」

 そう言えば、彼女はバスケ部なんだっけ。自分の様に、バスケを体育の授業でやる程度だったら、体育館履きで良い

かもしれないけれど、部活で本格的にやるとなるとそうもいっていられないのだろう。剣道部でも有段者は自分の武具を

持っていたりするし。

「バッシュで床を蹴るキュって音、小気味いいのよね」

 そんなとんちんかんなことを言うと、可南子ちゃんは笑いながら「そうですね」と答えてくれた。おそらく苦笑だったのだろ

うけど、専門的なバスケの知識がない自分には、これ以上突っ込んだ話題を振ることが叶わない。

「……」

「……」

 ふたりして向き合ったまま、しばしの沈黙が続いた。バスケの知識もなく、特に親しいわけではなかったので、ビックリ

するくらい会話が続かないのだ。まあ、偶然に会っただけなので、挨拶だけして立ち去れば良かったのだが、由乃は何

を思ったのか。

「ねえ、良かったら何か冷たいモノでも飲みながら話しない?」

 額に浮かんでいる玉のような汗をハンカチで拭いながら、そんな事を口走っていた。

(あれ、何言ってんだろ私。まあ、イヤなら断るだろうし、ま、いっか)

 対面している可南子ちゃんが断るだろうと高をくくって、キャップの下の表情を窺っていると。

「それもそうですね。黄薔薇さまとゆっくりお話する機会もそうないでしょうし」

「え、あ、うん」

 意外な返答に思わず動揺してしまった。だが、付き合うと言ってくれている可南子ちゃんを無理に帰すわけにもいかな

い。

「まあ、鬼と晩餐するわけでもなし。なるようになれの精神よね」

「はい?」

 はてさて、一体どんな話しをすれば良いやらと不安がよぎったが、まずは涼をとるという当初の目標を果たす方が先

決。それに、別に命を取られるわけでもなし、ドンとぶつかればどうにかなるさケセラセラ。由乃はあれこれ考えるのをや

めにして、喫茶店の自動ドアを先立ってくぐった。

 

 

 

後編へつづく

 

 ここしばらく、冬や春など時期ハズレな季節を舞台にしたお話が続いていたので、今回はこの季節にピッタリ(?)な真

夏のお話を書いてみました。と言っても、あまり季節は関係なくなっちゃいましたけれど……。

 原作ではほとんどなかった由乃と可南子ちゃんのお話です。スポーツ好きな由乃とバスケ部所属の可南子ちゃんが面

と向かって話をしたら、どんな会話をするんだろう? そんなところから話を膨らませて書いてみました。

 ちなみに、可南子ちゃんの私服は、私の想像です。実は、ワンピに麦藁帽子的な少女趣味全開な私服が理想だった

んですけれど、今回はカッコイイ可南子ちゃんにしようということで、カジュアルな私服にしてみました。

 

 

 

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