『孤峰の白薔薇』

 

■中編:穢れなき罪人

 リリアン女学園高等部へ入学して5ヶ月。夏の暑さも和らぐ早秋の頃。

「……」

 体育祭の後、佐藤聖さまに見初められて、私、藤堂志摩子は白薔薇のつぼみになった。それ以来、薔薇の館へ正式

に出入りするようになり、山百合会の一員として充実した日々をおくり始めている。

 充実した毎日。

 学園生活でも委員会活動でも得られなかったこの満ち足りた時間は、佐藤聖さまという姉を持ったことに少なからず要

因があるのかもしれない。

 でも。

 多忙な毎日をおくればおくるほど、その充実感とは裏腹に、私の心の中に巣食う闇は日々大きなものへとなっていた。

 クラスメイトを、祐巳さんをはじめとする山百合会の仲間たちを欺いて学園生活を送っている後ろめたさ。皆を欺く罪悪

感という名の闇が入学以来今もずっと私の全身を苛み続けている。拭うことの出来ない不安が、孤独感が日々ふくれ上

がっている。

 私の全身を苛む"それ"はけして気のせいなどではない。心の闇は、後ろめたさ、後悔、罪責感、裏切り……様々に姿

を変えて私を苛み続けている。そう、佐藤聖さまの妹となり、満ち足りた時間を手に入れた今になっても、それだけは消

し去ることが出来なかったのだ。

 私の胸に棲む闇は、どんなに優れたお医者様でも治せない不治の病に等しい。

 そうと分かっているのに、あまりにも苦しくて、誰かに相談して軽くなりたいと思ったこともあった。祐巳さんや由乃さん

へ相談すれば、あるいは心が軽くなるかもしれないと。けれど、誰かと接点を持つことで、痛みが増してしまうような不安

も拭いきれず、相談を持ちかけるのが怖くてたまらなかった。

 

 それなのに。こんなにも苦しんでいるというのに私の身体ときたら、朝夕とキッチリお腹はへるし、夜になれば眠くもな

る。人間の性。と言えばそれまでだが、いくら苦しんでも深く考え込んでも欲望にすら勝てないとは、藤堂志摩子という人

間は、私を蝕んでいる不治の病は所詮その程度のものなのか。ほとほと呆れ果ててしまう。

 そして今日も、朝起きて朝食を食べて制服の袖に腕を通す。髪を梳きながら姿見の中から私を凝視する不機嫌な自分

と一瞬視線を重ね合わせ、また、偽りだらけの1日が始まった。

 

 放課後、環境整備委員会の会議を終えて誰もいない廊下を歩いていると、何かの気配を感じた。

「誰、誰かいらっしゃるの?」

 慌てて視線を巡らすが、静まり返った廊下には生徒も教師の姿もない。それでも確かに感じる気配は私の気のせい

だったのだろうか……?

「もう、何なの!!」

 姿を見せない何か、いつも見えない何かに怯えている自分にイラついて、私は声を張り上げてしまった。自分でもビッ

クリするくらいヒステリックな声。

 気が付くと、廊下の先へと逃げていく声の残響を追いかけるように走り出していた。急にどこかにいる何かがどうしよう

もなく怖くなって、それこそ我武者羅になって走り続けた。

 

「はあ、はあ、はあ」

 切れ切れに息をつきながら顔を上げると、そこは非常階段の途中だった。夢中で走り続けるうち、廊下の突き当たりに

あった非常口を抜けて非常階段へ出てきてしまったようだ。

 かすかな冷たさを纏った秋の風が、額に滲んだ汗を拭うように優しく吹き抜けていった。その心地良さに一瞬気持ちが

緩んだが、気が緩んだ瞬間、吹き抜ける秋風が私を嘲ているような錯覚に囚われた。

 

"お前の居場所はここにはないのだよ?"

 

「っ!」

 頬に貼りついた髪をかき上げながら視線を巡らせると、更に私を罵るように風がうなりを上げた。

 

"やましい秘め事を隠し持った罪人"

 

 肩で息をしながら潤んだ瞳で辺りを見回すが、階上にも階下にも人の気配などない。ただ、校舎の向こう側にあるグラ

ウンドから、スポーツ系クラブの練習する声が聞こえてくるのみ。

 私は、急に視界が大きく歪んで気持ち悪くなってしまった。グラグラと頭が揺れだし、今にも階段から足を滑らせて、奈

落の底へ落ちてしまいそうな幻覚に囚われた。

「っ」

 落ちたら怪我どころでは済まない。そんなところだけ冷静に頭が働いて、汗ばんでいる両手で必死になって手すりを握

りしめた。

 とにかく、このまま立っていても危険なだけ。1度階段へ腰掛けて気分を落ち着かせよう。そう思った刹那だった。非常

階段を下り終えた黒い影が中庭を走り去るのが視界の隅に飛び込んできた。

「えっ!」

 胸がざわついた。その影がなんであるのか分からなかったけれど、私はグッと踏ん張ってよろめく足を懸命に前へ出

すと、影を追うように階段を下っていた。

 逃げて行くあの影が何かを知っているかもしれない。私が求めている何かを持っているかもしれない。何の根拠もない

のに、何故かそう思えて、降り立った地面を力強く蹴り込んだ。

「待って!」

 スカートのプリーツが乱れたが、気にすることなく必死に追いかける。

「あと少し……」

 体育祭でも見せたことのない全力疾走。自分でもビックリするほどのスピードで追いすがり、目の前まで迫った影に無

我夢中で手を伸ばした。

 もう少しで指がかかる。しかし。

「あっ」

 私以上に私の身体が想像を超えたスピードにビックリしていたようだ。日ごろから走ることの得意でない私の足は、慣

れない激走で限界を超えたらしく、縺れて地を離れた。勢いで前のめりになる身体。どんどんと近づいてくる地面。そし

て、私は無様に顔面から地面へ滑り込んだ。

「っ」

 派手に立ち上る砂埃の中、地面に突っ伏した自分。土の匂いを感じながら、あまりにも惨めな姿に涙が溢れて来た。

「もう……やだ……」

 転んだ傷より、何倍も心が痛かった。

 

 

 

後編へつづく

 

 

 

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