『Spring here come』

 

■act.01:昨日までの私

 4月吉日。

「ごきげんよう祐巳さま」

 春の風のように爽やかで涼やかな下級生たちの挨拶の声に笑顔で答えつつ、私、福沢祐巳は、リリアン女学園高等

部の門をくぐった。

 卯月、エイプリル、年度替り、新学期……。とにもかくにも希望に満ちた始まりの季節。木々を見上げれば、ほんのりと

ピンク色に染まった桜の花が咲き誇っていた。

 

 私がこのリリアン女学園高等部へ通うようになって迎えた3回目の春。お姉さまである小笠原祥子さまとも離れ離れに

なり、最上級生として迎えたはじまりの季節。否が応にも気持ちがピリリと引き締まる。

 

 と、春休み中までは思っていたのだけれど……。

 

 新たな学園生活に胸を躍らせている下級生や同級生たちと違って、私は不安でいっぱい。加えてその胸中は、大切な

人と離れ離れになった寂しさで張り裂けてしまいそうだった。

 春休み中に気持ちの整理をしたはずなのに、なんか駄目だったみたい。油断したら、不安と寂しさでべそをかいてしま

いそうだ。

 まったく、これじゃお母さんの姿を見つけられなくて、心細くて泣きだしてしまう幼稚舎の園児と変わりない。

 

「……」

 そんな曇天気分を少しでも晴らしたくてマリア像の前へ立つと、私はマリアさまに必死になってお祈りした。もちろん、こ

んな自分勝手なお願いなんて聞いてくださるとは思わなかったけれど、こんな気持ちのままじゃ山百合会のお仕事だって

ちゃんと出来ないし、何よりも由乃さんや、志摩子さん、山百合会のみんなに余計な心配をかけてしまう。だから、しっか

りしろ祐巳!! なんだけれど……。

 

「ごきげんよう、紅薔薇さま」

 眉間にシワまで寄せて真剣にお祈りしている傍らでそんな声が聞こえたので、私はハッとして顔を上げ、辺りを見渡し

た。

 しかし、私のそばにも周囲にも紅薔薇さまこと祥子さまの姿はなかった。ここでようやく、今は自分が紅薔薇さまと呼ば

れる立場にいるんだと改めて気付かされた。

 はあ、自分でも嫌になるくらい自覚なさすぎだって……。

 

 挨拶してくれた下級生に手を振りながら、ため息と自嘲の入り混じったわけのわからない嘆息をつく。お姉さま、こんな

私で1年間やっていけるでしょうか……。

 などと、ぼんやり考えていたら、

「ごきげんよう、祐巳」

「っ!?」

 一瞬空耳かと思った。けれど、確かに私の鼓膜は"yumi"って振動したし、"さん"でも"さま"でもなく、あの方の声で祐

巳って呼ぶ声が間違いなく耳の中に響いた。

 私は、声の主を探し出そうと必死になって視線を巡らせた。でも、やっぱり祥子さまの姿はなかった。

 その代わり私の前には、ふんわり巻き毛の縦ロールを左右に揺らしながら微笑んでいる見知った少女の姿があっ

た。2年生の松平瞳子ちゃん。紆余曲折を経て、私の妹になってくれた紅薔薇のつぼみだ。

 

「ふふ、ビックリなさいました、お姉さま?」

 悪戯っぽく笑む瞳子ちゃん。どうやら今の声は彼女のモノマネだったらしい。うーん、さすが舞台女優、というよりも、遠

縁ながら祥子さまと親戚なわけだから、多少声質が似てるってことなのかな。それとも、祥子さまを求めるあまり、私の

脳内で音声に補正でもかかったかな?

 

「なんだ、瞳子ちゃんか。ビックリしたなあ、もう」

 ともあれ、思いっきり不意打ちを食らってしまった。私は、早くなった動悸を必死に押さえ込みつつ、平静を装って、引

きつっているであろう笑みを浮かべた。

 すると、そんな私の胸中を知った上で意地悪するように、瞳子ちゃんは目の前までズンズンと歩み寄ってきて、

「お姉さま、タイが曲がっていましてよ」

 私のタイに手を伸ばして几帳面に直してくれた。

「あ、ああ、うん。ありがと」

 別にヤマシイことなんてなかったのだけれど、なんかばつが悪くて照れ笑いと愛想笑いが程よくミックスされたわけのわ

からない表情のまま、瞳子ちゃんの顔を見つめてしまった。すると、

「ほら、リボンも少し曲がっていらっしゃるじゃないですか」

 背がちっちゃい瞳子ちゃん(人のことは言えないけれど)は、わざわざつま先立ちになって、私の頭へ手を伸ばして、し

なやかな手つきでリボンを直してくれた。ほのかに鼻をつく石鹸の香りがすごく心地良かった。

 

「はい、これでよし。駄目ですよお姉さま。薔薇さまになられたのですから、身だしなみには気をつけてくださらないと」

 一通り世話を焼ききると、瞳子ちゃんは呆れ顔で大げさに溜め息をついてみせた。そして、余談はここまでとばかりに

表情を引き締めると、今度はまっすぐに私の瞳を見つめて言った。

「祥子さまがご卒業されて寂しいお気持ちはわかります。ですが、この春からお姉さまは山百合会を支えていく紅薔薇さ

まなのですから、少しはしゃんとしていただかないと困ってしまいます」

「あ、うん、そうだよね。ごめん」

 やっぱり腑抜けモードはバレバレだったか。と言うより、瞳子ちゃんの目は誤魔化せなかったみたい。見事に核心を突

かれてしまった私は、にへらとしまりのない顔のままで気の抜けた返事を返した。

「もう、いつにも増してぼんやりされているじゃないですか!」

 瞳子ちゃんのイラついた声が耳を突いた。確かに真剣に話をしているのに、こんな対応をされたら誰だって頭にきて当

然だ。もう、本当に私ったら新学期早々なにやっているんだろう。

 なんて自分に呆れ果てていると、目の前に瞳子ちゃんの縦ロールが迫って来るのが見えた。更に、それに続いて頬に

やわらかい感触。

「瞳子ちゃん!?」

 あまりにも突然だったので、瞬時に理解出来なかったけれど、それは、間違いなく唇の感触。なんと、なんの前触れも

なく瞳子ちゃんに頬へキスされてしまったのだ。

 

 いくら頬とはいえ、キスなんて初めての体験だ。何かを言おうと思ったけど、あまりの衝撃で言葉が出てこない。高鳴る

鼓動を感じながら、口づけされた頬を指で押さえつつ、立ち尽くすのがやっとだった。

「眠り姫に目覚めのキス。じゃありませんけれど、どうです。これで少しは目が覚めましたか?」

 目が覚めるどころか、ビックリドッキリで心臓が口から飛び出してしまいそうだよ瞳子ちゃん!!       

 私は、辛うじて首だけをコクコクと縦に振った。

「しゃんとしてない罰です。繰り返しますが、今年からお姉さまは紅薔薇さまなのですから、今までのようにボーっとされて

いては困ってしまいます。特に今日のお姉さまは…………」

 なんて色々言われているけれど、キスの衝撃が大きすぎて私の耳にはまったく入ってこなかった。しかし、狼狽しまくっ

ている私にかまうことなく瞳子ちゃんは話を続けていく。

「お姉さまにとって祥子さまが大切な方であるということは、これでもかというほど理解しているつもりです。離れ離れに

なって寂しく思われる心境も十分にわかります。でも、紅薔薇さまというポジションを引き継いだからには、しっかりと自覚

をもっていただかないと山百合会の沽券に関わりますし、先代の紅薔薇さまの面目を潰すことにだってなり兼ねます」

 いちいち正しい瞳子ちゃんの言葉が、狼狽していても私の胸へグサリグサリと突き刺さった。うん、まったくもって、その

通りなんだよね……。

「それに、思い出の中に閉じ篭っていつまでも寂しがっているだなんて、脳天気なお姉さまらしくありません。今のお姉さ

まの腑抜けた姿をご覧になったら、きっと祥子さまも悲しまれると思います」

 やけに挑発的な発言が続く。今日の瞳子ちゃん、ご機嫌ナナメなのかな……。

「まったく、何をひとりで殻に閉じ篭ろうとしているんです。お姉さまはバカなのですか?」

「なっ!」

 あまりの言われように、「それはさすがに言いすぎだよ」と反論しようとした刹那。

「お寂しいならば、いつだって瞳子が傍にいるではありませんか」

 口にしようとした言葉は喉の奥へと落ちて行き、私の心臓は瞳子ちゃんの一言で大きく跳ね上がった。

「お寂しいならば、いつだって無駄なお喋りにお付き合いしますし、ご希望とあれば頬だって張って差し上げます」

 びんたの素振りを交えて冗談ぽく言うと、瞳子ちゃんはかすかに微笑んで一旦言葉を途切った。

「…………お姉さまがどう思われているかは存じ上げませんけれど、お姉さまが祥子さまを大切に思っているのと同じく

らい、瞳子もお姉さまのことを大切な存在だと思っているんです。ですから、祥子さまを思う10分の1でもかまいません。

瞳子のことも少しだけ意識してくださいませんか。心細いとき、ちょっとでも私の肩に寄りかかってくださいませんか。でな

いと、せっかく姉妹になれたのに、せっかく1番近くにいられるのに寂しすぎます……」

 

 消え入りそうな声で言い終えると、瞳子ちゃんは赤面してうつむいてしまった。

 思いも寄らなかった彼女の言葉。

 叱咤激励。

 いや、あれは懇願だ。

 私ってばなんて鈍感だったんだろう。これまでの挑発的な言動のすべては、心の奥底から搾り出された瞳子ちゃんの

純粋な願いだったんだ。

「……もう、私ってば」

 何をしていたのだろう。何を考えていたのだろう。会えなくなった祥子さまに想いを馳せるばかりに、今ここにいる瞳子

ちゃんの存在をないがしろにしてしまった。「姉妹になろう」と手を差し伸べておきながら、知らず知らずのうちに瞳子ちゃ

んを悲しませるようなことをしてしまっていた。なんて最低な姉だろう。

 確かに祥子さまと会えなくなったことは寂しくて辛いけれど、自分の傍らにはこんなにも私のことを思って、気遣ってくれ

る妹がいるじゃないか。こんな私を心の拠りどころとして、求めてくれている瞳子ちゃんがいるじゃないか。

それなのに、私は、私は、祥子さま祥子さまって無神経に!!

「あ、いや、今のは言葉のあやと言いますか、その喩えと言いますか。ちょっと出すぎてしまいました。申し訳ありません」

 まっすぐ見つめている私の視線に気がつくと、瞳子ちゃんは慌てて目線を反らし、はにかんだ。けれど、とっさに地面を

蹴り出した私にはよく見えなかった。

「ちょっ、お姉さまっ!?」

  自分でも何がどうなったのかよく分かっていない。気がついたら身体が勝手に動き出していて、瞳子ちゃんを抱きし

めていた。

 今、私の腕の中に瞳子ちゃんがいる。温もりが伝わる距離にしっかりと存在している。

「ごめんね、ごめんね」

 さすがの瞳子ちゃんも戸惑いの表情を見せたけれど、私はかまわず彼女を強く抱きしめ続けた。壊れたからくり人形

のように「ごめんね」と同じ台詞だけをただただ涙声でつぶやき続けた。

「お姉さま?」

 瞳子ちゃんの鼓動が伝わってくる。

「ごめんね、ごめんね」

 瞳子ちゃんのかすかな吐息が頬を掠めて行く。

「ごめんね、ごめんね、ごめんね……本当に、ごめん……なさい…」

「もう。本当に祐巳さまは世話の焼けるお姉さまです」

 そう言うと瞳子ちゃんは、かすかな笑みを浮かべ、ポケットからレースのハンカチを取り出して手渡してくれた。そこに

はまだ、ふたりのイニシャルは刺繍されていなかったけれど、込められた想いは確かに感じられた。

「こんなんじゃ、これからが思いやられます」

 うん。でも、もう寂しいなんて言わないよ。

 

 

act.02へつづく

 

 復帰第1弾は、祐巳ちゃん×瞳子ちゃんでした。確か、お休みする前もこのふたりだった気がしますが、どうやら未だに瞳子ちゃんloveモードが続いているみたいです(笑)。

 って、それも瞳×祐になった理由なんですけれど、去年の秋に長期入院したとき、『未来の白地図』〜『キラキラまわる』を病室に持ち込んで、6巡くらい繰り返し読んでしまったので、無意識のうちに瞳子ちゃん脳になっていたのかもしれません?

 

 次回は、今作のact.02を掲載予定です。そのあと、途中になっている後夜祭の後編(これまた瞳子ちゃんだ)、プロットだけ1年半前に出来上がっていた白薔薇姉妹のお話が書ければと考えております。もちろん、アンケートをとった山百合会新年会も準備いたしますので(本当に今更でゴメンナサイ)、気長に待ってやってください。

 

 では、ペースを取り戻すまで読みづらい文章の羅列になってしまうと思いますが、今日からまたよろしくお願い致します。 

 

novel topact.02

inserted by FC2 system