『そんなこんなの後夜祭』

 

■後編

 もちろん、薔薇の館を出てから演劇部の打ち上げへ行くわけもなく。私は1年椿組の教室へ直行。鞄を取ると校舎を後

にした。

「……」

 校庭から響いてくる、楽器の賑やかな音色。多くの姉妹が、グラウンドのファイヤーストームを囲みながら、手に手をと

りあって仲良くダンスをしているのだろう。学園祭を無事に終えられた開放感に浸りながら、皆、思い思いに後夜祭を楽

しんでいるようだ。

「まあ、私のあずかり知ることではございませんけれど」

 自分に言い聞かせるように呟くと、グラウンドの方を見つめていた瞳を空に向けた。

 初秋といえど、秋の日は暮れるのが早い。6時を前にして、辺りにはうっすらと夜の帳が降りかかっていた。

 なんてもの悲しい空の色だろう。などとぼんやり物思いにふけっていると、ふいに背後から声をかけられた。

「あれ、松平さん……だっけ?」

「え?」

 思わずビクついてしまったのは、急に声をかけられたこともあったのだけれど、声の主が男性のものだったからだ。私

は驚き顔のまま、声をかけてきた人物を顧みた。

 幸い、学園に進入した不審者ではなかったので、ひとまず安堵の溜め息をついた。目の前に立つ学ラン姿の男性は、

知人と呼べるほどの関係ではなかったけれど、見知った顔。数時間前、同じ舞台に立っていた人物だった。

「祐麒さん……」

 祐巳さまの弟さん、福沢祐麒さんだった。

「こんなところで何やってるの? 打ち上げ、もう終わっちゃったとか?」

「打ち上げならまだ続いていますわ。私はちょっと外の空気を吸いたくなってしまったので出てきただけです」

 帰り支度を済ませて片手には鞄をぶら下げているのに? 私は自分の口からこぼれ出た見え透いた嘘に呆れてし

まった。でも祐麒さんは、そんな私の見え見えな嘘に突っ込みもしなければ変に詮索をすることもしなかった。

「そっか。たぶんウチのメンバーが悪乗りして騒いじゃってるんだろうなあ。なんかゴメンね」

「いえ、そんな……。ところで、祐麒さんはどうしてこちらに?」

 薔薇の館を出てくる前に、祥子さまや黄薔薇さまと談笑されていたと記憶しているのだけれど……。

「月光先輩がどうしてもペプシコーラが飲みたいって言うものだからさ、コンビニまでひとっ走りして来たところなんだ」

 「まったく、まいっちゃうよ」と笑みをこぼしながら祐麒さんは左手にぶら下げていたコンビニ袋を掲げた。

「それは大変でしたね。お疲れ様です」

 ねぎらいの意味も込めてニッコリと微笑む私。ちょっと前まで悶々としていたはずなのに、今、自然に笑むことが出来て

いる自分にちょっと驚いてしまった。

「ねえ、松平さん」

 話がひと段落したので、挨拶をして立ち去ろうとしたら、祐麒さんが口を開いた。

「はい?」

「もしまだ外にいるなら、一緒に校庭へ行ってみない? オレ、ファイヤーストームをちょっと見てみたいんだ」

「え!?」

 予想外の、しかも男性からのお誘いだったので思いっきり動揺してしまった。すると、その様を見て私の心中を察した

のか。祐麒さんは慌てて言葉を続けた。

「あ、いや、他意はまったくないんだ。お釈迦様、あとはマリア様にも誓って、ただファイヤーストームを見てみたいだけ。

ほら、部外者のオレがひとりで学園祭が終わったリリアンの敷地内を歩き回っていると思いっきり不審でしょ? だから」

 顔を真っ赤にしてたじろぎながらの必死な釈明だった。まあ確かに不審というか、最悪の場合、お縄になる可能性もあ

りますわね。

「ふふっ」

「え?」

「あははは」

 気がついたら、声を上げて笑っていた。ナンパと勘違いしていた自分がおかしかったというのもあるけれど、思いっきり

焦っている祐麒さんの姿がすごく可愛らしく思えてしまって。

 よくよく考えたら、祐麒さんは祐巳さまの弟さんなわけで。器用にナンパなんて出来るわけもない。いや、本人を前にし

て失礼な考察だけれど。

「いきなり笑ってしまって御免なさい。いいですわ。私もファイヤーストームを見に行こうと思っていたところです。ご一緒い

たしましょう」

「そ、そうなんだ。ありがとう。じゃあ行こうか」

 頭をかきながらはにかむように応えると、ばつが悪いと思ったのか。祐麒さんは先に立ってさっさと歩き出してしまっ

た。

「まあ、気ばらしくらいにはなるでしょう。……それにしても」

 レディーファースト云々言うつもりはありませんけれど、私も一応女の子なわけで。お誘いになったからには、もう少しエ

スコートしていただきたいものですわね。

 先行する祐麒さんの背中を眺めながら、私は冗談半分に呟いた。

 

 校庭を見下ろせる土手に出ると、近くにあったベンチにふたりして腰を下ろした。

 燃え盛っているファイヤーストームと、その周りでダンスをしている何組もの姉妹の様子がよく見える絶景ポイント。絶

景かどうかは正直謎だったけれど、我々の周囲にも、腰を下ろして炎を見つめている姉妹の姿がポツリポツリと見受け

られた。

 その中には、男子連れで現れた私の姿を目ざとく見つけて、好奇の目を向けてくる生徒もいたが、いちいち説明するの

も面倒だったので、私は意図的に気付かぬふりをすることにした。別にやましいことをしているわけでもなし、見られて困

ることもない。あとで尋ねられたらそのときに説明すればいいだけのことだ。

 夕暮れの風がちょっと涼しく感じられた。でも、グラウンド中央で炎を上げているファイヤーストームの熱気が程よい暖

をもたらしてくれていたので、むしろ心地よく思えた。

「……」

 到着したときは「すごい」だとか「派手だね」などと歓声を上げていた私たちだったけれど、時が経つにつれて口数も

減っていき、気がつくとふたりとも無言のまま眼下の様子を見つめているだけになっていた。

 なんとなく気まずい雰囲気になってしまったので、何か話しかけなければと思ったのだけれど、あいにくお互いの情報

が少なすぎて何を話題にお喋りをすればいいのか見当もつかない。

 冷静になれば、とりかえばや物語のことでも、花寺メンバーとの出会いのことでも良かったのだが、こういうときに限っ

てそういう話題が出てきてくれない。

 横目で隣りを窺うと、祐麒さんも会話の糸口を模索しているようで、難しい顔をしたまま指だけを何度も組み替えてグラ

ウンドの炎を見つめていた。

 もう、お誘いになったのは祐麒さんの方なのですから、こういうときこそしっかりしていただかないと困ってしまいます

よ? なんて、気まずい空気の原因を勝手に責任転嫁していると、私の心の声が聞こえたのか。祐麒さんは傍らに置い

ておいたコンビニ袋へ出し抜けに手を突っ込んで何やら小袋を取り出すと、私の前にそれを差し出した。

「何です?」

 差し出された袋を訝しく見つめていると、

「カスタードチョコまん。ペプシと一緒にコンビニで買ってきたんだ。松平さん、甘いの嫌いじゃないよね?」

「ええ、まあ。でも、いただいてしまってよろしいんですの?」

「かまわないよ。ファイヤーストーム見物に付き合ってもらったお礼」

 そう言って笑んだ祐麒さんの顔は、どこか祐巳さまに似ていた。まあ、姉弟なのだから当然といえば当然。雰囲気こそ

違ったけれど、人当たりやふいに見せる横顔が本当に祐巳さまそっくりで、なんだか不思議な気分になった。

(そういえば、昼間は祐巳さまから、これまたお礼としてフランクフルトをご馳走になったんだっけ)

 袋から取り出した白い生地のカスタードチョコまんは、まだ温かかった。

 真ん中からふたつに割ると、中にはチョコクリームとカスタードクリームが2層になってぎっしりと詰まっており、立ち上っ

てきた甘い香りが鼻孔を心地良く刺激した。

「では、ふたりで半分こしましょう」

 買って来た本人が見守る前でひとり食べるというのも何だか抵抗があったので、私はふたつに割った片方を祐麒さん

へ差し出した。

 それをしばらく見つめていた祐麒さんだったけれど、やがて「ありがとう」とそれを受け取った。いやいや、お礼はいりま

せん。もともとは祐麒さんのものだったのですから。

「はむ……」

 祐麒さんが口にするのを待ってから、私もカスタードチョコまんを口へ運んだ。とたん、口の中いっぱいに広がってくる

不思議な味。チョコのほろ苦さとカスタードの甘さが想像以上にマッチしていて、絶妙なスィートっぷりを醸し出している。

けっこうな甘さなので、お茶があればモアベターだったけれど、それ抜きにしてもこの絶妙なコラボレーションには感動す

ら覚えた。

「甘くて美味しいですね。祐麒さんは甘いものがお好きなんですか?」

 カスタードチョコまんを頬張る横顔を窺いながら尋ねると、クリームのついた親指をペロリと舐めてから祐麒さんは答え

た。

「特に好きってわけじゃないよ。このカスタードチョコまんも祐巳が好きそうな新商品だったから、ついでに買って来ただ

けだし」

「そうなんですか」

 「祐麒さんは祐巳さま思いですね」なんて言いつつ2口目を口にしようとしたとき、私はあることに気がついて大慌てで口

からカスタードチョコまんを離した。

「って、祐巳さまに買って来られたのでしたら、私がいただいてしまっては駄目じゃないですか!」

 でも、慌てる私に祐麒さんは平然と答えた。

「気にしなくていいって」

「ですが……」

「ウチの近くにもコレ売っているコンビニはあるから、買おうと思えば帰り道で買えるし。それに、祐巳も松平さんにあげ

たって知れば喜ぶと思うよ」

「喜ぶ? 祐巳さまが?」

「うん。祐巳、松平さんのことが好きみたいだからさ」

 祐麒さんの言葉に、ドキッとした。祐巳さま、何を言っちゃっているの? というか、私のことをお家でお話になっている

の? だとしたらどんなことを話しているのかしら……。半ば疑心暗鬼になって、あれこれ思案していると。

「心配しなくても大丈夫。祐巳はへんなこと言っていないから。ただ、すごく可愛らしい後輩が出来たって言って喜んでい

ただけ」

「喜んでいた……祐巳さまが……」

『カワイイコウハイ、ヨロコンデイタ……』

 一瞬、頭が真っ白になった。

「まあ、祐巳が一方的に好意を寄せているだけで、松平さんは祐巳のこと大嫌いかもしれないけどね」

 愉快そうに笑う祐麒さん。

 「でも、悪い人間じゃないことは弟のオレが保証するからさ。どんくさくておっちょこちょいなヤツだけど、これからも仲良

くしてやってよ」

「こちらこそ、いつもお世話になりっぱなしですけれど、これからも仲良くしたいただけると嬉しいです」

 差し出された右手を握り返しながら、私はニッコリと微笑んだ。その言葉と笑顔が本心から来たものなのか、表面だけ

のものだったのかは自分でも良くわからなかったけれど。

「さすが演劇部の女優さん。素敵な笑顔だね」

「お上手ですね」

(素敵な笑顔か……)

 祐巳さま然り、福沢家の人たちは恥ずかしい台詞をサラッと言ってくれる。でも、言われて悪い気はしなかったし、素敵

に見えたのだとしたら、今の笑顔には自分でも掴みきれていない私の素直な気持ちが、無意識のうちに反映されていた

のかもしれない。

 その後、腕時計を見た祐麒さんは、20分も経っていたことを知り、「まずい!」と勢い良く立ち上がると、挨拶もそこそこ

にあわただしく薔薇の館の方へ走っていってしまった。

 ベンチに取り残された私の片手には、食べかけのカスタードチョコまん。なんとなくひとかじりすると、もうすっかり冷め

てしまっていた。

「喜んでいた。これからもよろしく……か」

 今まで、事あるごとに私に干渉してきた祐巳さま。私にとって福沢祐巳という存在とは……。お節介焼き、祥子さまのプ

チスール、それから……。

 それから、鬱陶しくて鼻について、見ているとイライラして面倒くさくて。大キライな先輩。

『ユミサマナンテダイキライ。キライ・・・ホントウニキライ? ホントウハスキ?』

 これまでの関係。そして、これからの関係。ハッキリしない気持ち。祐巳さまに対するこのモヤモヤは、いつどんなタイミ

ングで晴れるのだろう。呆れるほど脳天気な祐巳さまの笑顔に遮られてしまって、見ることの叶わない私の未来はどう

なっているのだろう。この先、あの人と私の間にどんな結末が待ち受けているのだろう……。

 いくら考え込んでも満足いく答えを得ることは出来なかった。そのかわり、考えようとすると、無性に胸がチクチクする。

もしかしたら、この胸の違和感が私の求めている答えを知っているのだろうか……。

「まあ、何にせよ」

 私はベンチから立ち上がると、祐麒さんが走り去った方を顧みた。

「実の弟さんによろしくとお願いされてしまっては、無下にあしらうことも出来ませんわね」

 まったく、本当に鬱陶しい。何て面倒な人に気に入られてしまったのだろう。

 残りのカスタードチョコまんを頬張ると、私もベンチを後にした。その胸に、ファイヤーストームの周りで踊っている多く

の姉妹とは違った気持ちの高揚と、祐巳さまから手渡された紙袋をギュッと抱きしめながら。

 

−Fin−

 

 瞳子ちゃんのことで悩む姉の気持ちを察して、祐巳ちゃんのあずかり知らないところでお節介な祐麒が後方支援〜逆

に瞳子ちゃんがモヤモヤしちゃう的なお話でした。

 まだ、仮面のアクトレス以降のように、追い詰まちゃっていませんけど、祐巳ちゃんのことで少しずつ追い詰められ始め

ている瞳子ちゃんの心情を意識しつつ書いてみました(半分、祐麒との意外(?)なカップリングを楽しみつつ)。当初予

定していたご褒美エピソードとはだいぶかけ離れてしまいましたが、いかがだったでしょうか。

 

 今までは、松平瞳子としての彼女の生き様を無視(不幸回避)するような妄想ばかりしていたので、今後は、それらを

受け止めた瞳子ちゃんというのも書いてみたいと思っています。

 ともかく、1年半越しでようやく完結です。本当にお待たせしちゃってゴメンナサイでした。

 

 

  

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