『そんなこんなの後夜祭』

 

■前編

 まさに目まぐるしく。気持ちの落ち着く暇すらなく過ぎ去っていったリリアン女学園高等部ではじめての学園祭。

 多くの来場者を迎え、いつもとはちょっと違った活気と熱気に満ち溢れていた年に1度の祭典。そんな日中の賑わい

も、終わった今となれば、今は昔の物語の如し。

 学園の各所に出店されていた模擬店もクラスやクラブの展示も、あらかた片付けられ、祭りと日常の狭間にある不思

議な光景が、学園の各所で見受けられた。

 

「では、申し訳ありませんが、お先に失礼致します」

「うん。お疲れ様。ゆっくり休むといいわ瞳子さん」

 出演していた演劇部の舞台の片付けと反省会が終わると、私、松平瞳子は一足先に部室を後にした。

 これから、来校していた演劇部OGのお姉さま方も交えて軽い打ち上げが予定されていたのだが、どうしても打ち上げ

という気分になれなかったので、疲労困憊を理由に出席を辞退してきたわけなんだけれど、実は、山百合会の打ち上げ

へ参加するというのが本当の理由だった。

 今日1日、祐巳さまと色々あったので、そちらの会に参加するのも少々ためらわれたのだが、満面笑みの祐巳さまに

半ば強引に指きりされながら「お疲れ様会、楽しもうね」なんて言われたら、すっぽかして帰ることなど出来やしない。

 気分的な疲労感は偽ることなくピークを迎えていたので、それを理由にドタキャンしても良いかなと思いはしたのだけれ

ど、薔薇の館に背を向けようとする度に、祐巳さまの顔が浮かんできてにこやかに手招きしてくる。

 とりあえず、顔を出して挨拶だけしたら抜け出そう。そんなことを考えながら中庭を進むと、やがて薔薇の館が見えてき

た。

 館の扉をくぐると、2階から賑やかな笑い声が聞こえてきた。どうやら、会はすでに始まっているらしい。

 私は、盛り上がっている只中へ自分が飛び込まなければならないことに少し憂鬱な気持ちになったけれど、ここまで来

ておいて引き返すのも馬鹿馬鹿しく思えたので、意を決してギシギシと軋む階段を上がると、一息ついてから目の前のビ

スケット扉を開いた。

「あ、瞳子ちゃん遅いよー」

 部屋へ足を踏み入れると、テーブルを囲んで、とりかえばや物語で競演した面々と談笑されていた黄薔薇さまが私に

気がついて、笑いながらこっちこっちと手招きされた。

 「はい」と返事をしてからさりげなく部屋を見回すと、山百合会メンバーに助っ人の可南子さん、新聞部の真美さま、写

真部の蔦子さま、そしてゲスト出演されていた花寺学院生徒会オールスターズの姿。窓際で談笑されている私服の女性

お二方は、先代の薔薇さま方だろうか?

 皆で囲んでいるテーブルには、黄薔薇さまが作ったと思しきロールケーキが3種類と、コンビニで買ってきたのであろう

様々なお菓子がお皿に盛り付けられて並んでいた。

「みんな瞳子ちゃんが来るの待ってたんだよ」

「え、あ、はい」

 黙って周りの様子を観察していたら、小走りでやって来た祐巳さまに手を取られて、強引に輪の中に連れて行かれてし

まった。テーブルの向かい側では、私の到着に気がついた祥子さまが、こちらを見てにこやかに微笑んでいらした。

「では、全員揃ったようですし、乾杯しましょうか」

 そうおっしゃる祥子さまの言葉を受けると、白薔薇さまと乃梨子さんが席を離れて人数分の紅茶の準備を始めた。どう

やら全員が顔を揃えるのを、私がやってくるのを待っていてくれたらしい。

 そのお心遣い、嬉しくはあるのだけれど、私はメインではなくゲスト出演したひとりに過ぎない。だから、私のことなんか

ほっておいて先に始めてしまっても良かったのに。また祐巳さまが何か言ったのかしら?

「ん、何?」

 そんなことを考えていたら、不用意に祐巳さまと目が合ってしまったので、私は慌てて目をそらせた。

「皆さんにカップは行き届いたかしら?」

 祥子さまの声を聞きながら自分の前に置かれたティーカップを手にすると、カップを満たしていたミルクティーの水面が

かすかに揺らめいて、ぼんやりと映っていた私の顔を歪ませた。

「とりかえばや物語に参加してくださった皆さん、お疲れ様でした。事前の準備からレッスン、そして今日の本番に至るま

で皆さんが協力してくださったおかげで素晴らしい舞台にすることが出来ました。特に、全面協力してくださった花寺学院

生徒会の皆さん、そして部外者ながら快く力を貸してくれた可南子ちゃんに瞳子ちゃん」

微笑む祥子さまと目が合ったので、私も笑みで答えて軽く頭を下げた。

「皆さんのご助力に心より感謝いたします。本当にありがとうございました」

 祥子さまが深々と頭を下げると、山百合メンバーもそれに倣って頭を下げる。

「あ、いや、我らの方こそ、貴重な体験をさせていただいて楽しかったです。お招きいただいてありがとうございました」

「うむ、まさか女装で舞台へ上がるとは思いもせなんだ」

「だが、すごく愉快なひと時であった」

 慌てて頭を下げる花寺の会長の祐麒さん。その両サイドで、やり取りを見守っていた日光月光兄弟(あら、ご本名なん

だったかしら?)が豪快に笑い声を上げた。

「今宵は、ささやかながら、打ち上げの席を設けさせていただきました。短い時間ではありますが、皆さんの労をねぎら

わせていただければと思っています」

 そこでいったん言葉を切ると、祥子さまはカップを手に持った。

「それでは、山百合会を代表して、乾杯の音頭を取らせていただきます。皆さん、お疲れ様でした。乾杯」

「かんぱーい!!」

 祥子さまの号令で一斉にカップを掲げると、皆、隣り合う者同士でカップを打ち合わせて小気味良い音を響かせた。

 かくいう私も、両脇に陣取る祐巳さまと可南子さんと乾杯して、ミルクティーを口に含んだ。ほのかな甘みが、いろいろ

とせわしなくて疲れきっていた五体に心地良く染み込んでくるようだった。

 次いで私は、テーブルに広げられていたお菓子の中からチョコチップクッキーを1枚摘み上げて口へ運んだ。うん。これ

も疲れた心身にはたまらなく心地良いスィート加減。一瞬だけ、この打ち上げに来た甲斐があったかな、なんて思えた。

「……」

 2口目の紅茶をすすりながら何気なくまわりの様子を窺ってみると、皆、思い思いに雑談を満喫中。とりかえばや物語

の反省点などを笑いながら話されている祥子さまと黄薔薇さま。『その筋の人かと思って本気で驚いた』とかなんとか

言って、縁日村の話をしている由乃さまと、それを苦笑混じりに聞いている祐巳さま。そして、相変わらず仲むつまじく会

話を交わしている白薔薇姉妹。

 そんな中で1番驚いたのは可南子さんだった。大の男嫌いで、とりかえばやの稽古中も花寺メンバーとは必要以上に

距離をとっていたというのに、今、私の隣りにいる彼女は毛嫌っていたアリスや、誰よりも男男している日光月光さんたち

と普通に会話を交わしている。表情こそ楽しげと言えるものではなかったけれど、これは一体全体どんな心境の変化な

のだろう? 大仕事を終えた高揚感とか開放感がそうさせているのだろうか。

 なんて思いながら、2枚目のチョコチップクッキーを摘み上げようとしたら。

「瞳子ちゃん、チョコチップクッキーが好きなんだね」

 ふいに、視界の外側から声をかけられた。

「別に好きというほどではないです。たまたま取りやすいところにあったものですから」

 祐巳さまだった。私の言葉を聞きながら、ご自身もチョコチップクッキーへ手を伸ばされたので、私はすんでのところで

方向転換。その先にあったマーブルポッキーに手を伸ばした。

 でも、ちょっと遠すぎて手が届かない。指で何度か空を切っていると、それに気がついた黄薔薇さまがポッキーの盛ら

れていたお皿を私に近づけてくださった。

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして。瞳子ちゃんは、ある意味で今回の最高殊勲女優だもん。喜んでもてなさせてもらうよ」

「そんな大げさです」

「全然、大げさじゃないって。今日の瞳子ちゃんの演技、とっても輝いていたよ」

 両手をパチンと合わせて、呑気ににへらと笑む祐巳さま。もう、何もわかっていないくせに気楽に言ってくれる。もちろ

ん、祐巳さまの言葉に1ミリグラムも他意が込められていないことは十分にわかっていたけれど、わかっている故に癇に

障る。イライラする。

「あ、瞳子ちゃんまだロールケーキ食べてないでしょ? 令さまのお手製なんだよ」

 そう言って祐巳さまがケーキへ手を伸ばすと、袖に隠れていたカラフルな数珠リオがチラリと見えた。私が作った数珠

リオだ。

 何故、祐巳さまはそれを選んだんです? 今だって私のことなんてほっとけばいいのに、何でそこまで干渉してくるんで

す? それが嫌というわけではなかったのだけれど、相変わらず祐巳さまが絡んでくると、気持ちが波打ってしまう。

 一緒に椿組の展示を見学していたときみたいに、そっぽを向いてしまえばいいのか、私も微笑み返せばいいのか。何

が正解で何が1番理想的なのか、まったくわからない。

 でも、ただ1つだけ確かなことがあった。

「え、演劇部の打ち上げ?」

「はい。OGのお姉さま方もいらっしゃっているので、そちらにも顔を出さなくてはならないんです。なので、申し訳ないので

すが……」

 とりあえずこの場から立ち去りたい。嘘をついてでも……。

「そっか。じゃあちょっと待ってて」

 しれっと嘘をついた私の言葉を疑いもせず、祐巳さまは慌てて席を離れて行った。まがいなりにも私は演劇部員。祐巳

さまを欺くくらいの演技は朝食前だ。なのに、ただ演技をしただけなのに何をこんなにドキドキしているのだろう。嘘をつ

いた罪悪感にでも苛まれているというのだろうか?

「まさかね」

 そんな自分に苦笑していると、戻って来た祐巳さまに紙の手提げ袋を手渡された。何かと思って中を覗いてみると、3

種類のロールケーキがラップに包まれて納まっていた。

「演劇部のみんなで分けてもらってもいいし、お家に持って帰ってから食べてもいいし、何にせよ令さまのケーキは絶品

だから食べなきゃ損損。3切れで悪いんだけれど、良かったら持って行って」

 そう言って、いつもの呑気な笑みを浮かべる祐巳さま。

「ありがとうございます。いただきます。では、お先に」

 軽く頭を下げると、手を振る祐巳さまを背に私は早足で部屋を出た。

 けっこうな音を立てて軋む階段をくだったのだけれど、賑やかな笑い声にかき消されてしまったようで、私の退出に気

がついた人は祐巳さま以外いないようだった。

 

後編へつづく

 

 またしても瞳子ちゃんです。なんといいますか、好きが止まらなくなっちゃっているかも(笑)。

 先日発表した、『私、アクトレス/特別でない特別な1日』の続編といいますか、『私、アクトレス〜』 本編とエピローグの

間に入るお話です。

 今回も、祐巳ちゃんに対する自分の気持ちに戸惑いまくっている瞳子ちゃん。前作で辛い目に合わせてしまったので、

とりかえばやの打ち上げと後夜祭を舞台にして、ちょこっとだけご褒美(?)になるようなお話を書けたらいいな、なんて

思いながら書いてみました。(ご褒美の本番は、瞳子ちゃん騒動のあとのお楽しみなんですが)

 後編では祐麒も登場して、祐巳ちゃんとの仲を取り持つのに一役かったりかわなかったり?

 

 

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