『私、アクトレス/特別でない特別な1日』

 

act.01:私、アクトレス

 

「瞳子ちゃん、無理は禁物だよ? 愚痴を言いたくなったら私のところに来ること。いい?」

 薔薇の館の前で待ち伏せしていた祐巳さまにまんまとやられてしまって、私は演劇部に復帰願い兼謝罪に行くことに

なってしまったわけだけれど。

 部室へ出向くべくクラブハウスに向かって歩み始めたら、背後から祐巳さまの張り上げた大声が聞こえてきた。まった

く、何なのだ。中庭にはほかの生徒だっているというのに恥ずかしい。ほら、案の定、みんなの注目の的だ。言葉の内容

もそうだけれど、祐巳さまには羞恥心っていうものはないんですか? 

「……」

 やむなく立ち止まって振り返ると、笑顔で手を振っている脳天気な紅薔薇のつぼみ。私はあからさまに嘆息すると、祐

巳さまと視線だけ合わせて無言で頭を下げた。この距離で返事を返すには、祐巳さまが張り上げたのと同じくらい声を

張らなければならない。通る声を出すのはお手の物だったけれど、私は時と場所をきっちりとわきまえられる人間のつも

りだ。

「ふう」

 本当は聞こえなかったふりをして無視しようかとも思ったのだけれど、相手が祐巳さまだと何故かいつもペースに乗せ

られてしまうというか、調子が狂ってしまう。

 そんな自分に苦笑を漏らしつつ、私はきびすを返した。目指すは決戦の地、演劇部の部室!! ……って、このノリも祐

巳さまっぽいなあ……。

 

 祐巳さまのお節介のおかげで、若草物語のエイミー役降板劇に決着をつける決心はしたものの、決心と同時に憂鬱な

気持ちまでもが消えてなくなったわけではない。私は鉛のように重くなった両足を、なけなしの気力を振り絞って前へ進

めながら5度目の溜め息をついた。

「詫びを入れるって言っても、今更どの面下げて行けって言うのかしら。沈痛な表情を顔面に貼り付けてひたすら陳

謝? それとも、ウソ泣きしながら土下座? 揉み手で媚び諂う?」

 口にして私はウンザリした。確かに芝居は大好きだし出来れば劇に復帰したいと思ってはいるけれど、そこまでしてあ

んな先輩の所属する部へ戻る理由、価値は本当にあるのだろうか。別にリリアンの演劇部じゃなくてもお芝居を続ける

術はないわけじゃないし、嫌な思いまでして無理に戻らなくてもいいんじゃないか?

 そんな自問自答を繰り返していると、不意に脳裏へ祐巳さまの姿が浮かんだ。

「祐巳さま!?」

 学園祭の準備でせわしなく生徒が行き交うクラブハウスの通路で、思わず足が止まった。刹那、周囲の喧騒に混じっ

てさっき祐巳さまに言われた言葉が脳内でリフレインされた。

『私も一緒に演劇部に謝りに行ってあげるから』

『瞳子ちゃんは演劇部の舞台に上がらなきゃ駄目だよ』

『練習が足りなかったらウチに来て練習するといいよ』

『無理は禁物。良く寝て良く食べてストレスは溜め込まない。愚痴を言いたくなったら私のところへ来る。いい?』

「もう、祐巳さまは私の何なんですか!? お姉さまにでもなったつもりですか?」

 苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てると、再び歩みを始める。

「……」

 お節介でノープランで無防備で。そんな祐巳さまのすべてが気に入らなくて見ていてイライラする。なのに、何故か振り

切れない自分がいる。心の片隅に祐巳さまの存在を気にかけている自分がいる。そんな正体不明の感情に戸惑いを覚

えつつ、だからといってどうすればいいのか具体的な解決法など見出せない。一体何なんだ、このもやもやした気持ちは

……?

「……そう言えば祐巳さま、自宅へ来いって言ってた」

 階段を上りながら、ぼそりと呟いた。

「私を呼んで、一体どんなありがたいお話をしてくださるつもりだったのかしら? それに、晩御飯もご馳走してくれるって

言っていたっけ。福沢家の食卓。何が出てくるんだろう……」

 私は2階へ続く階段の踊り場で足を止めると、窓から外の風景へ眼を向けた。屋外でも学園祭の準備に追われている

生徒たちがせわしなく動いている。

「肉じゃがとかお味噌汁とか普通の家庭料理? お客様だから奮発してお寿司とか。大穴でハンバーグって線もあるか

しら?」

 顎に人差し指を当てて、あれやこれやと想像を膨らませる。そのせいで、今から演劇部へ出向くという当初の目的は、

あさっての方へ吹き飛んでしまっていた。

「やっぱりハンバーグの線が濃厚かしら? 祐巳さま、子供っぽいところあるし、案外、大好物だったりして」

 ハンバーグを前に諸手をあげて「わーい」と喜ぶ祐巳さまの姿が目の前に浮かんで、私は思わず噴き出してしまった。

「ふふふ、祐巳さま似合い過ぎです」

 すれ違う生徒のことなどおかまいなしに、私はしばらく声を殺しつつ笑い続けた。そうしていたら、さっきまで心に巣食っ

ていた憂鬱な気分がどこかへ吹き飛んでいった気がして、急につまらない事で悩んでいた自分が馬鹿馬鹿しく思えてき

た。

「これって、福沢マジック?」

 なんて一瞬、真剣に首を捻ったけれど、

「まさかね」

 一笑に付すと私は軽く深呼吸をして、本来の目的を果たすべく階段をのぼった。鉛の重さから開放された軽快な足取

りで。

 

「部長、部員の皆さん、私の勝手な行動でご迷惑をかけてしまいまして、たいへん申し訳ありませんでした」

 部室へ入って開口一番、私は深々と頭を下げて謝罪の弁を述べた。

 部屋に居合わせた顧問の先生、部長をはじめ部員一同は、唐突な謝罪に唖然とし、思いもよらぬカタチでの帰還を果

たした私、松平瞳子の姿を無言で見つめていた。

「ま、松平さん……」

 顧問の先生がドモリ気味で声を絞り出す。先生がそんなに動揺されてどうするんですか。私は自分の過ちを素直に認

めて謝罪しているだけで、奇を衒ったわけじゃないんですから落ち着いてください。

 頭を下げてはみたけれど、正直なところ、どうなるかなんて想像出来なかった。ただ、どのような結果――例え祐巳さ

まが仰ったような通行人Aでも――が待ち受けていようと悔いはない。自分の過ちにけじめをつけたせいか、芝居に復帰

出来れば、舞台に上がることを許されればそれで満足。不思議とそれだけは断言出来た。

 そんな私の姿勢が先方にも伝わったのか、はたまた犯した過ちに対してきっちりと筋を通したことが認められたのか。

形式上、厳重注意という処分を食らったものの、結果として無罪放免。私は劇とエイミー役への復帰を認めてもらった。

 演劇部としても私の降板に頭を抱えていたようなので、復帰は当然。なんて自惚れた気持ちなんて、これっぽっちもな

い。それどころか、松平瞳子とあろう者が、舞台への復帰を認められたことに胸を躍らせている。油断すると嬉し泣きし

ちゃいそうだ。私ったら心底演じることが好きなんだな。改めて痛感したら、そんな自分の女優馬鹿っぷりにちょっと呆れ

てしまった。

 

 復帰を認められたので、私は晴れて部室へと足を踏み入れた。

 すると、先日、私の芝居に言いがかりをつけてきた先輩部員がなんとも複雑な面持ちでじっと私を見つめていた。

 あんな一件の後だし、気まずい空気が一瞬周囲へ漂いかけたけれど、私は敢えて涼しい笑みを浮かべると、訝しげな

顔をしている先輩と対峙した。

「未熟な箇所がありましたらば、引き続きご指導願います。ですが1つだけ。稽古中に不完全なものでも私は本番に向け

て完璧に仕上げる自信がありますし、そのための努力を惜しむつもりもありません。それが舞台を観に来てくださるお客

様方に対する演者としての礼儀だと思いますし、舞台に立つ者としての、いえ、女優としての私の誇りですから」

 一息に言い切ると、軽く会釈してその場を立ち去る。先輩は、ただ立ち尽くすのみで私に何も言い返してはこなかっ

た。いや、言い返せなかったのか。何にせよ、私は先輩を牽制するために言ったのではない。今自分の中にある素直な

気持ちを言葉にしただけだ。それが、結果として先輩のやっかみを削ぐことに繋がったようだけれど。

 

 私は、部屋の隅に置かれている長テーブルに鞄を置くと、表紙まで覚え書きでいっぱいの若草物語の台本を取り出し

た。そのとき、重ねて入れておいた山百合会版とりかえばや物語の台本がチラリと眼に入った。瞬間、脳裏に祐巳さま

の笑顔が映る。

『うわぁ楽しみ。私、観に行くからね、絶対』

「……先生、不躾で申し訳ないのですが、当日のチケットのことでご相談があります」

 私は一体何をやっているんだか。そんな自分に今日2度目の苦笑を漏らす。そして、 復帰に導いてくれた不器用な女

神の姿をぼんやりと思い浮かべながら、自分の1番輝く場所へ戻って来られた充足感に改めて浸るのだった。

 

 

act.02:特別でない特別な1日 へつづく。。。

 

 

 ってことで、私流、瞳子ちゃんの若草物語エイミー役復帰エピソードでした。

 

 『特別でないただの一日』の終盤で祐巳に対してぷんすかモードだった瞳子ちゃんの可愛らしさにやられてしまいまして、学園祭前〜当日の祐巳との見えないエピソードをまとめて描いてみることにしました。

 Act.02は当日編。お楽しみに?

 

 

novel topact.02:特別でない特別な1日

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