『とある秋空の編集後記』
10月某日。 体育祭も学園祭も滞りなく終了。準備に追われてバタバタと騒がしかった放課後の学園に久しぶりの静寂が戻ってき た。 学園祭だった一昨日の喧騒を思うと嘘のような静けさだ。 心なしか物寂しくなった中庭には人の影1つなく。秋の空っ風に吹かれて無数の落ち葉が微かな砂埃を上げて地を 舞っていた。 「そう言われましても、そう簡単にスクープなんてありませんよ。私は犬じゃないので、闇雲に歩き回っても棒には当りま せん」 高くなった秋の空のもと、中庭のベンチに並んで座っていた私の妹、山口真美は私の言葉に不機嫌な顔で答えた。 「それを何とかするのが記者の仕事でしょうに。少なくても、あなたはリリアンかわら版の編集長なんですからね」 そんな真美に溜め息混じりに言うと、私、築山三奈子は口を尖らせている妹の横顔を見つめた。 中庭を行く真美を見つけたのは10分ほど前のこと。新聞部を引退してからしばらく真美と会っていなかったので、最初 は軽い叱咤激励をするつもりで呼び止めたのだが、腰を据えて話をするのなんて久しぶりだったもので、ついつい話し 込んでしまった。で、気がついたら半分お説教になってしまっていたというわけだ。 「犬じゃなくても足で稼ぐのが記者の基本でしょ? それでも駄目ならば、そのときは斬新な切り口と企画力で勝負。そう しなければ読者の心は掴めないわよ」 この春、新聞部編集長の座を妹の真美に譲ってから、そろそろ5ヶ月が経とうとしている。 自分で言うのもなんだが、真美は妹としても記者としても良く出来た子だし、放っておいても杞憂することはない。だか ら、引退した後、自分が取材や編集に口を挟むことはすまいと心の中で決めていた。だけれど、記事作りに東奔西走し ている真美の姿を見ていると、ついつい姉、いや、元編集長として口を挟みたくなってしまう。私は、そんな自分の記者ば かっぷりに苦笑を漏らした。 「ご心配なく。今、取材を終えた学園祭の総力特集号を編集中です」 「"総力"特集ね。でも今回はミスコンもなかったし、総力特集を謳っても紙面のインパクト不足は否めないんじゃない?」 毎年開催されていて、ある意味で学園祭のメインイベント、ミスコンを今年の学園祭では開催しなかった。例年と似た 顔ぶれで争って、同じような順位になるのは火を見るよりも明らかで、大掛かりなわりに面白みに欠けるというのが開催 しなかった理由らしい。 確かにミスターリリアンは黄薔薇の支倉令さんで確定だろうし、各部門とも上位には山百合会幹部の名が連なるのは ほぼ間違いない。でも、新入生限定とか切り口を変えていけば変化を付けられたのもまた確かなわけで。それに、結果 の知れたコンテストでも、定番を期待している読者も少なくはない。そういう読者のニーズを汲み取るのも記者として大事 な仕事なのだが、そういう細かいところで真美はまだ経験不足みたいだ。 元編集長として「まだまだ甘いわね」なんて言おうとしていたら、 「ミスコンがなかった分、代替案はちゃんと用意してあります。蔦子さんの全面協力で企画した、とりかえばや物語特集で は山百合会に留まらず、ゲスト出演していた花寺学院生徒会メンバーの写真とインタビューも掲載。前会長の柏木優さ んのコメントもとれました。あとは、演劇部の若草物語レビュー、出し物の入場者数ランキング、当日見かけた姉妹を対 象とした突撃ベストスール大賞とか……」 真美はそんな私のお小言なんて聞く耳持たずと言わんばかりに、特集号の紙面を飾るラインナップの数々を指折り数 えながら発表しだした。 呆気にとられてその姿を眺める私。甘いどころかそつなく仕事をこなしているじゃない。私は、自分の思っている以上に 優秀な記者に成長していた真美のことを誇らしく思った。でも、しっかりとした紙面構成案を聞かされたことで、逆に私の 記者魂に火が灯った。自分もこの春までは編集長として部を牽引してきた人間。真美が面白い構成案を出したからと いってただ賞賛するだけでは姉の、いや、元編集長の名がすたるというものだ。 「それだけ揃えば、学園祭特集号は読み応え有りそうね。上出来だわ」 「それはどうも」 真美はすまし顔で頭だけを下げた。 「だけど、目の前の企画に集中するあまり、その後が疎かになっちゃうようじゃ駄目よ。記者たるもの、常に一歩先を見 据えて取材や企画に臨まなきゃね」 何か苦言を。そう思ったのだが、突っ込みたくても突っ込む隙が見当たらない。それだけ素晴らしい企画だったのか、 私の記者としての能力が衰えたのか。ともかく私は苦しんだ挙句、言いがかりに近い駄目出しを口にしていた。これでは まるで口うるさい小姑だ。 「そう言えば、紅薔薇のつぼみに付きまとっていた1年生は? 彼女が妹候補という線はないの?」 言ってすぐ、これは"駄目な"駄目出しだと自覚したので、私は前言を打ち消すように素早く話題を切り替えた。 「その線はないです。ルーキーの日出美さんが9月中に可南子ちゃん、祐巳さんの追っかけをしていた本人から確認を 取りました。祐巳さんもそれはないって明言していたので間違いないかと」 タイムリーな話題と思いきや、既に半月も前の話とは……。新聞部の活動から退いただけで、こうも情報に疎くなってし まうものなのか。そんな自分に軽くショックを受けた。 「じゃあ……」 「松平瞳子ちゃんの線もないですよ。山百合会の手伝いでしばらく薔薇の館へ出入りしていましたけれど、志摩子さんと 乃梨子ちゃんのときみたいなスール試用期間ではないみたいですし。仮に有力候補だとしても、以前、祐巳さんと火花を 散らした経緯があるので、祐巳さんがウェルカムでも一般生徒の目を気にした瞳子嬢の方が妹になるのを拒むと思いま す」 と、先回りして告げる真美。 「姉妹になる可能性は低いですけれど、祥子さまを巡る三角関係があると仮定して、スキャンダラスに紅薔薇のつぼみト ライアングル!?的な記事でも書きます?」 その気もないくせに真美はしれっとした顔で言った。 「それはナシ。スキャンダラスな話題の方が読者の食いつきはいいけれど、そういうデリケートな問題を面白おかしく扱う のはどうかと思うのよね」 1人のお姉さまを巡って巻き起こった浅香と真純の三角関係、そしてこの春に起った紅薔薇革命未遂騒動。2つの出来 事が私の脳裏をよぎった。 「いばらの森騒動をしつこく追跡調査していた築山三奈子さまらしからぬお言葉ですね。引退されてキバが抜け落ちまし たか? そんなんじゃ記者失格ですよ?」 辛辣な言い方。まったくわかっているくせになんて意地の悪い妹だろう。 「あの頃の私は怖いもの知らず、というか、読者から返ってくる反響にすっかり有頂天になっていたのね。スクープばかり を追うばかりに忘れてはいけないこと、人の痛みをすっかり失念してしまっていたように思うわ」 外見ばかり眺めていてもけして窺い知ることの出来ない人の心。それが見定められるようになってから、過激な記事ば かりを追いかけていた自分が急に怖くなった。多少の誇張はアリだとしても、このままでは下卑たゴシップ記事を掲載す る写真週刊誌となんら変わらないではないか。真実を読者へ正確に伝えるのが記者の仕事だし、自分はそういう記者を 目指していたのではないのか? 「お変わりになられましたね」 「変わったというか、毒気が抜けたというか。ともかく、機会があれば今までゴシップ記事で迷惑をかけてしまった人たち に対して懺悔記事を書きたいくらいの気分ね」 「お好きに」 半分冗談で言ったのがバレバレだったか。真美は素っ気無く言った。 「つれないわね。でもまあ、引退した私の考えにあなたも付き合う必要はないし、真美がやりたければ紅薔薇革命でもな んでも記事にするといいわ」 編集方針は人それぞれなわけだし、今後のリリアンかわら版のことは真美に託した時点で私の手から離れている。で も。真美とは長い付き合いだ。彼女がこういった記事に手を出さない、スクープのために親友を売るような真似をしない ことは十分に理解していた。案の定真美は「何を仰る」といった表情でヤレヤレと首を振っていた。 「それじゃあ、懺悔の気持ちをカタチにする意味で、お姉さまの手記を3月まで連載するっていうのはどうです?」 「なっ」 驚きのあまり、目を見開き、空けた口をポカンとさせたまま真美を見つめ返した。悪戯っぽく笑む真美。親友を売らな い代わりに、この子は自分の姉を売ろうというのか? まったく、時々冗談とは思えないとんでもないことを言ってくれる から困ってしまう。 「なんて、冗談です」 「たちの悪い冗談はよしてよ。もう、小憎らしい子ね。ホント可愛くない。少しは祐巳さんを見習ってもらいたいものだわ」 淀みがなく純真なまなこ、お姉さまに従順で屈託のない笑顔。祐巳さんこそある意味で理想の妹ではないかしらと時々 思う。 「お姉さまは祐巳さんのような妹がよろしかったんですか?」 「そうね。素直で可愛らしくて、いつでもお姉さまを慕ってくれて」 それに比べて目の前にいる真美ときたら、事あるごとに口答えはするし、姉を敬う姿どころかしおらしい様すら見たこと がない。まったく、祐巳さんに可愛らしさの成分を少しだけでも分けてもらいたいくらいだ。 「でもね」 「でも?」 「祐巳さんじゃ私の、築山三奈子の妹は務まらなかったと思う」 「それは記者の素質的に?」 手帳片手にパタパタと駆け回る祐巳さんの姿が浮かんで、一瞬その微笑ましい姿に吹き出しそうになった。彼女の気 質では、まずスクープはモノに出来まい。 「それもあるけれど、こんな私の性分を理解した上で、愛想を尽かすことなく支え続けようなんて酔狂な人間、あなたの他 にいないと思うもの」 記者としての才能もそうだけれど、真美のそういう部分も私は気に入っていた。だから、しおらしさや可愛らしさの欠片 もなく、小生意気で口うるさいけれど、真美は私にとってベストプチスール。この子と出逢わせてくれた神様に、本当に感 謝している。 「うーん、褒められているのかけなされているのかわかりませんよ」 「褒めているのよ」 今まで真美の仕事っぷりに感心はしても褒めるようなことはなかったし、やりなれないことはやるべきじゃなかったか。 私は思わず照れ笑いを浮かべた。 やりなれないと言えば、仕事以外で真美に何かをしてあげた記憶もない。現役中は記事のことで頭がいっぱいで考え もしなかったけれど、このままでは、あの子に姉らしいことの1つもしてあげられないまま卒業の日を迎えてしまう。だから と言って真美から不満の声が上がることはないだろうけれど、それで真美はかまわないのだろうか。いや、今までついて 来てくれた真美に姉として何もしてあげられなくて、私はいいのだろうか。仕事ではなくあの子と過ごした時間、思い出、 その証もないままに卒業してしまって私はかまわないのだろうか……? 急にそんな考えに苛まれた。 「褒めてくださっても何も出ませんよ」 「別にいらないわよ。でも、その代わりに、これからもアッと驚くような斬新な記事を書いて私を驚かせて頂戴」 だからと言って、姉妹としての思い出作りをしましょうだなんて今更恥ずかしくて言えやしない。言った瞬間、あの子がど んなリアクションを見せるのか、考えただけでもゾッとする。新聞部の記者になった時点で、普通の姉妹のような関係を 望んではいけなかったのかもしれない。 「さりげなく困難な要求をしてくださいましたね。でも、そう仰られた方がやり甲斐があるというか、のぞむところって感じで す」 部活の忙しさにかこつけないで、こんなたわいない話でもいいからもっとしておけば良かった。新聞部絡みの話でも、 思い出がないよりはましだもの。 「ん?」 そんなことをぼんやり考えていると、双眸にえも言われぬ閃きを湛えた真美が、振り上げた両足で反動をつけてベンチ から立ち上がった。そして、腰の後ろで手を組むとクルリと振り返って私に意味ありげな笑みを向けた。 「いいこと思いついちゃいました。褒めていただいたお礼に、今回の記事が書きあがったら、私の半日拘束権をお姉さま に差し上げます。お姉さま、引退されて時間を持て余していらっしゃるでしょ?」 「は?」 拘束権? 何を言っているんだこの子は? 話が見えなくて私が首を捻っていると、 「私、品川にある海浜水族館に行ってみたいんですよね」 ニンマリ顔で真美はそんなことを言ってきた。 「水族館?」 それで私は察した。勘がよく、洞察力もある真美は、言動、表情から私の心を推察したんだ。そして、私の気性を知っ ているから、私の自尊心を傷つけないようにあんな言い方をしてデートに誘ってくれたんだ。姉妹の思い出作りのために ……。まったく、本当に小賢しい子だわ。 「ちょうど今、生まれたばかりのシャチの赤ちゃんが見られるんですよ」 小首を傾げでニッコリ微笑む少女の顔は、祐巳さんにも負けず劣らず可愛らしくて。それは紛れもなく私の妹、山口真 美の顔だった。 「受験生を捕まえて時間を持て余しているとは失礼ね。でも、いいわね水族館。じゃあ学園祭特集号が仕上がったら、気 分転換もかねて、あなたの"お返し"に付き合ってあげようかしら」 「ありがとうございます。じゃあ、筆記用具とコンパクトカメラも忘れずに……」 「おばか。取材じゃないでしょ」 冗談で掲げたゲンコツをかわすようにクルリと身を翻すと、真美はちょんと舌を出しておどけて見せた。 「楽しみも出来たことですし、それでは編集作業の追い込み、頑張るとしますか!」 軽く頭を下げてから小走りにパタパタと走り去っていく真美。その後姿を微笑ましく見つめながら私は、 「真美ったら可愛いところあるじゃない。かわら版小町の意外な素顔。築山三奈子の独占スクープね」 ひとりごちて、いっぱしのお姉さまが味わうのと同じ幸福な気分に浸るのだった。
今回は、築山三奈子・山口真美姉妹のお話でした。 『インライブラリー』の劇中に、「真美と中庭で話し込んでいた」という記述があったので、それを膨らませてみました。 一線を退いた三奈子女史が、真美といったいどんな話をしていたのだろう?なんて『インライブラリー』を読んだときか ら気になっていたので、普通の姉妹に憧れていた三奈子女史の可愛らしい一面?(あくまでも私の趣味です)を織り交ぜ つつふたりの関係を自分なりの解釈で描いてみたわけなんですけれども、いかがだったでしょうか? まあ、記者バカな両者のことだから、実際は終始取材やスクープの話ばかりをしていたんでしょうけれどね(笑)。
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