『島津由乃のスポーツ大将?/となりの芝生は青かったけど』

 

act01:島津由乃のスポーツ大将?

 

 9月初旬、ある日の昼休み。薔薇の館にて。

 

 窓から入る柔らかい日差しとかすかな涼風が心地いい季節。ふたりしかいないサロンで祐巳と由乃さんはお弁当を広

げて昼食タイム。

「あ、紅茶の茶葉が終わっちゃってる。ツイてないなあ。明日持ってこなきゃ」

 紅茶を淹れに行っていた由乃さんが茶葉の入った缶を振りながらヤレヤレと嘆息した。薔薇の館のお茶やお茶菓子

はメンバーの持ち回り。暗黙の了解的に、なくなる直前に手に取った人が次のストックを補充することになっているとか

いないとかって話を聞いたことがあるけれど、祐巳はその瞬間に在籍して以来10ヶ月間遭遇したことがなかった。それに

たった今立ちあえたわけだけれど、由乃さんの残念ぶりから察するに、どうやらその話は本当らしい。

「祐巳さんも今日はコーヒーでいいよね。甘党の祐巳さんのためにうんと甘めに作ってあげたわ」

「う、うん。ありがと」

 そう言いながら、笑顔でカップを差し出す由乃さん。カップを覗くと、クリームで乳白色に染まった液体が静かに揺れて

いた。うんと甘めって言っていたけれど、一体どのくらいお砂糖を入れたのだろう。ちょっと不安に思ったので、まだ熱々

のコーヒーを2、3度ふーふーしてから祐巳はカップに口をつけた。

「うん、おいしい」

 甘からず苦からず。聖さまが淹れてくれたコーヒーみたいに絶妙なまでの祐巳好みには程遠かったけれど、親友が淹

れてくれたコーヒーはそれだけで特別な味がする。祐巳は熱々のコーヒーをもうひとすすりして、ポーチからお弁当箱を

取り出した。

 

「そうだ、由乃さん」

 体育の後でお腹が減っていたせいか、しばらくの間ふたりとも無言でそれぞれのお弁当を食べるのに夢中になってい

たが、ある程度食べてお腹も落ち着きかけた頃、祐巳はあることを思い出して、握ったフォークをクルクルと回しながら、

まだお弁当に夢中な由乃さんへ声をかけた。

「ん、何?」

 ミニ春巻きにはむっとかじりつきながら視線だけを向ける由乃さん。あ、上目遣いでなんだか可愛らしい。

「由乃さんってスポーツに詳しかったよね。野球とかもわかるかな?」

 確か、ベストスールを受賞したときのプロフィールにそんなことが書いてあって、見た目とのギャップに驚いた記憶があ

る。去年の冬の話だ。

「野球? ええ、もちろん。ルールとか?」

 今度はお弁当箱の中で転がりまくるプチトマトを必死にお箸でつかまえながら由乃さん。

「あ、いやルールじゃなくてチームっていうか選手っていうか」

「チーム? 選手?」

 つかまえたプチトマトを満足そうにもぐもぐと噛みしめつつ由乃さんは首を傾げた。その様子を見つめながら、さすがの

由乃さんでもわからなかったかな、なんて思っていると、

「あのさ祐巳さん、質問の要領を得ないんだけれど。質問はもっとわかりやすく的確にすべし!」

 いきなり怒られてしまった。そっか。いくら名探偵でありエスパーでもある(あくまで祐巳曰く)由乃さんでも、チームやら

選手やら言っただけでは何のことだかわからなくて当然だ。

「あー、ゴメン。プロ野球のことなんだ」

「プロ野球?」

 せわしなく動き続けていたお箸がピタリと止まり、由乃さんは祐巳を見つめて奇妙な声をあげた。

「へー、祐巳さんプロ野球に興味あったんだ。意外だわー」

 あ、今、止まったお箸からそぼろがひとかけらお弁当箱の蓋に落っこちた。

「いや、興味っていうか何ていうか……」

「何よ?」

 何とも歯切れの悪い祐巳をジト目で見つめる由乃さん。眉間にしわまで寄せちゃって、まるで食事を中断させられてい

るのに腹をたてているかのような睨みっぷりだ。なんだか怖いんですけど……。

「実はさ、新聞屋さんにプロ野球の観戦チケットもらってさ。今度、祐麒とふたりで観に行くことになったんだ」

「へー。プロ野球の観戦に行くんだー!! 今、セ・リーグもパ・リーグも首位争いが白熱してるもんね。で、球場は?」

 プロ野球の観戦とわかると、眉間のしわは消え去り、途端に食いつきが良くなる由乃さん。瞳までキラキラさせちゃって

本当に心底スポーツ観戦が好きみたいだ。

「えっと、東京ドーム」

「東京ドーム? じゃあ巨人戦ね」

「そなの?」

 ここの球場ならどのチームの試合なんて知識、例え当たり前のことでもプロ野球に関心もなく17年間過ごしてきた祐巳

が持ち合わせているわけもない。由乃さんの言葉にしばし呆けていると、由乃さんはそんな祐巳におかまいなしに話を

続けた。

「で、相手は? ドラゴンズ? タイガース? カープかしら?」

 竜に虎に仕舞いには鯉? 今プロ野球の話してるのに、何で急に動物の名前が出てくるの? なんて、割と真剣に疑

問に思った。

「えっと……、確かジ、ジャイアンツ?」

「それはわかってるわよ。聞いているのは巨人、ジャイアンツの相手よ」

 呆れ顔で言うと由乃さんは、一息とばかりにカップへと手を伸ばした。

 巨人とかジャイアンツとか言われても……。でも一応、ジャイアンツと巨人がイコールらしいことは、たった今わかった

ので、聞かれているのはどうやらその対戦相手のことみたいだ。

「……わかんない」

 そう。巨人=ジャイアンツってことすらわからなかった祐巳に、相手のチーム名なんてわかるはずもない。きっと由乃さ

んだって、それくらいわかっているはずなんだけれど、興奮気味だし、祐巳のスポーツ無知っぷりを忘れてしまっている

のかもしれない。祐巳は両方の手のひらを上にして掲げて静かに首を振ると、お手上げのポーズをした。

「えー、わからないの? もう使えないなあ祐巳さん」

「うー、ごめん」

 思わず謝ってしまったけれど、これって私に非があるの? なんて首を傾げてしまう祐巳であった。

「せめて頭文字とかわからないの? さあ頑張って思い出して。祐巳さんはやれば出来る子でしょ!!」

 ううう、由乃さん、そう急かされると、ますますわからなくなっちゃうよ……。祐巳は半べそをかきつつ、これ以上由乃さ

んの口撃が厳しくなるのは御免とばかり、必死になって記憶の糸をたぐり寄せた。

「んーと、確か夕飯のときに、祐麒とふたりで行ってきたら?ってお母さんからチケットを渡されて。……そう言えば、お父

さんが恐竜みたいな名前だななんて言って笑ってたっけ。そうだ、シ、シ……」

「シ?」

 もう喉のすぐそこまで言葉が来ているのだけれど、使い慣れない言葉だからそれをうまいこと脳が処理してくれない。

「確か"シ"の付くチームだったと思う」

 祐巳の言葉を受けて、由乃さんは腕組みして考え込んでしまった。あれ、何か違った? 確かに"シ"が付くはずなんだ

けれど……。相変わらず腕組みで思案顔の由乃さんの向かいの席で、不安に駆られてしまう祐巳であった。すると、

「もしかして、湘南シーレックス?」

「それだ!!」

 ピーン!! 由乃さんの導き出した答えに、祐巳の頭の上にある見えない正解ランプが盛大に点灯した。あんな少ないヒ

ントで良くぞ正解を導きました。由乃さん、あなたはスポーツの神様ですか!?

 オーバーアクションで正解者の由乃さんを指差しながら、ダっと立ち上がる祐巳。ちょっとはしたなくも思えたけれど、お

姉さま見ていなかったからセーフだよね? なんて胸を撫で下ろしていると、そんな祐巳の前で正解者の由乃さんは溜

め息をついていた。

「どうしたの?」

 せっかく正解したというのに。

「どうもこうもないわよ。シーレックスって2軍のチームじゃないの。ベイスターズの」

「は? ベイスターズ? 2軍?」

 またしても出てきた専門用語。あ、でも2軍はなんとなくわかるかも。なんて祐巳が思っていると、

「終盤戦の1番試合が白熱する時期に、新聞屋がドームの巨人戦のチケットなんて持って来るの、おかしいと思ったのよ

ね。勧誘に対応したお母さま、野球の知識がないのをいいことに、まんまとやられちゃったわね」

 肩をポンポンと叩いてくる由乃さんは何故か同情ムード。祐巳はその真意をはかりかねた。

「やられたって……? 3ヶ月契約更新したら、新聞屋さんが大サービスだって言ってチケットをくれたってお母さんが」

「甘ーい!! 有名パティシエが作ったチョコレートケーキよりも甘々よ祐巳さん。いい、プロ野球には1軍と2軍があって、い

つもテレビで放映されているのは1軍、いわばスター選手の試合なの。2軍っていうのはスター選手予備軍で、その試合

の観戦チケットも比較的安価で入手出来ちゃうのよ。だから、同じドームの観戦チケットでも1軍と2軍の試合ではその価

値に雲泥の差があるってわけ」

 これで火がついてしまったのか。この後、志摩子さんと乃梨子ちゃんがやって来た20分後まで由乃さんのありがたいス

ポーツ講義は続いた。あまりにも専門色が濃くなった話の内容に、剣道のルールも知らなかった祐巳がついて行けるわ

けもなく。でも、わからない話を聞きつつ、ここまで夢中になれる趣味――時代劇小説は置いておいて――を持っている

由乃さんって何かスゴイな、なんて感心してしまった祐巳であった。

 

 ちなみに、こんなにも野球に詳しい由乃さん、高校野球には興味がないらしい。曰く「高校野球にはリリアンが出ていな

いからつまらない」からだとか。そりゃリリアンは女子高な訳だし、出ていないのは当たり前のことだ。でも、由乃さんが言

わんとするその感覚、祐巳にもなんとなく理解出来るような気がした。

 

act.02:となりの芝生は青かったけど につづく。。。

 

 久しぶりのオリジナルです。たまにはこういう話もいいかな、なんて。

 新聞を読んでいたら、たまたまシーレックスの記事が載っていたので、そこからスポーツ観戦好きの由乃さんを絡めて膨らませてみました。

 タイトルの『島津由乃のスポーツ大将?』は、北野武氏の経歴を見たときに載っていた『ビートたけしのスポーツ大将』から拝借。

 あと、作中の2軍の知識なのですが、2軍の公式戦が9月まで続いているのか、2軍の試合を東京ドームでやるのか、ネタとして扱っておきながらまったく知らずに書いていました(爆)。ゴメンナサイ。ここで懺悔します。もし誤りがありましたら、是非、心の中で盛大に突っ込んでやってください。

 

最後に。act.02は、前半とちょっと趣の変わった話になっております。

 

 

novel topact.02:となりの芝生は青かったけど

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