『それはとても些細な秋の実りのような』
イタリアへの修学旅行からも無事に帰国。 ようやく時差ボケも抜け切ったかなと思える10月初旬。山百合会幹部の詰める薔薇の館は、目前に迫った学園祭の準 備でてんやわんや。猫の手ならぬ瞳子ちゃん、可南子ちゃんの手を借りて、連日、多忙な放課後をおくっていた。
そんなある日、放課後の中庭に祐巳の姿があった。清掃後のお喋りに花を咲かせてしまったせいで放課後の山百合 会の集合時間を軽くオーバー。遅れた分を取り戻すように、心なし速めの足取りで祐巳は薔薇の館を目指していた。そ のちょっと後ろには、由乃さんの姿もある。 「そんなに急がなくたって大丈夫よ祐巳さん。急いだってどうせ1分も2分も変わらないんだから」 プリーツが乱れない程度の早足で進む祐巳の後方、のんびりとした歩調でついて来る由乃さんが背中に向かってそう 告げてきた。 「それはそうだけど」 軽く息を弾ませながら足を止めると、祐巳は慌てる気配など微塵もない由乃さんの方へと振り返った。 「だけど? お姉さまに怒られちゃう?」 ニンマリと笑んで茶化すように言う由乃さん。もう、冗談言ってる場合じゃないでしょうに。由乃さんがお喋りに夢中に なっていたせいで遅れちゃったんだから。 「いや、怒られるのは別に慣れっこで、むしろ歓迎……って、そうじゃなくて!!」 思わずノリ突っ込み。両手をパタパタ振って否定していると、追いついてきた由乃さんが横へ並んで歩き出した。 「お手伝いの瞳子ちゃんと可南子ちゃんに先来させておいて、私たちが重役出勤っていうのもアレでしょ?」 「そう? 私は一向に構わないけれど」 悪びれた様子もなくそんなことを言う。 「もう、由乃さんってば」 頑張ってくれているふたりに代わって抗議をしようとすると、 「って言いたいところだけれど。確かにふたりとも良くやってくれているわね。祐巳さん信者の子は置いておくとして、あの お嬢さまも本当に感心するくらい」 「お嬢さま?」 お嬢さまなんて回りくどい言い方をするもんだから、すぐには誰だかわからなかった。 「瞳子ちゃんのこと?」 「そ。まさか彼女がここまで頑張ってくれるだなんて正直思ってなかったわ。しかも、演劇部の方もしっかり両立させて やってるっていうじゃない」 そこだけは敬意に値するわと由乃さん。そう言う由乃さんだって、剣道部と両立しているじゃないと心の中で敬意を払 いつつ、案外、自分では自覚がないものなのかななんて祐巳は思った。 「瞳子ちゃん、キツイこと言うけれど優しい子だもん。何だかんだ言って私たちのピンチを放っておけないんだよ」 「私たち、って言うよりも祥子さまのじゃないの?」 呆れたように言う由乃さん。 「はは。確かにそうかも。でも、お姉さまのためでも嫌なら来てくれないと思うし、毎日のように顔を出してくれるってこと は、私たちもまんざら嫌われていないってことだよね? それが私は嬉しいんだ」 祐巳は素直な気持ちを口にした。 「ふーん。まあ、祐巳さんらしいわね」 「そう? 私はただ瞳子ちゃんが好きなだけだよ」 「じゃあ、妹にすればいいんじゃない?」 「妹? 瞳子ちゃんを?」 そういえば、そろそろ2年生になって半年が経とうとしている。妹のことも真剣に考えなきゃいけない時期に差し掛かっ ていた。 可南子ちゃんの一件以来、多少なり考える機会はあったけれど、未だ妹問題に真面目に向き合ったことはなかった。 祥子さまとの夢のような時間に夢中で、妹どころではないというのが正直なところではあったのだけれど、そろそろそう も言っていられなくなる。聖さまみたいに3年生になってからでは、少なからず妹に寂しい思いをさせてしまうだろうし。 「瞳子ちゃんと姉妹か……」 今まで考えもしなかった。可南子ちゃんとのときは何故かしっくりこなかったけれど、瞳子ちゃんはどうだろう。容赦のな い彼女のことだ。妹に迎えたら祥子さまとの関係も含め、いろいろと大変なことになりそうだ。 でも、それはそれで楽しそうかな? なんてあさっての方を見て考えていたら、思わずニヤけてしまっていたらしく、由乃さんに「ちょっと、気味の悪い笑みを 浮かべないでよ」なんて突っ込まれてしまった。まったく、由乃さんも容赦ない。 「ま、私も妹探しは人事じゃないんだけどね。江利子さまのおかげで」 苦笑いしつつ由乃さんが話を締めくくると、ふたりはいつの間にか到着していた薔薇の館の扉をくぐった。
ビスケットの扉を開けてサロンに入ると、祥子さま、乃梨子ちゃん、瞳子ちゃん、可南子ちゃんの4人がテーブルに向 かってそれぞれの作業に没頭していた。いらっしゃらなかった令さまと志摩子さんは、所要で席を外しているらしい。 「ごきげんよう。遅れてしまってごめんなさい」 祐巳と由乃さんは、遅れた旨を祥子さまに説明すると、それぞれ所定の椅子へ腰を下ろした。それと入れ替わるように 立ち上がる乃梨子ちゃん。遅刻したふたりのために紅茶の準備をしてくれている。少し遅れて可南子ちゃんもそれに続 いた。 祐巳の隣りの席にひとり残った瞳子ちゃんだけは、わき目も振らず書類へペンを走らせていた。一瞬、目が合った ので「頑張ってるね」と労をねぎらうと、表情を1ミリも変えることなく「仕事ですから」と答えただけで、また視線を書類に戻 してしまった。なんとも瞳子ちゃんらしい。
「午後になって、各部活から学園祭の活動申請書が一気に提出されてしまって大変なのよ。明日いっぱいまでに処理出 来れば問題ないのだけれど、今日みたいなイレギュラーがあると困るから前倒しで処理することにしたの。祐巳たちも一 息ついたら作業に加わって頂戴」 「はい、お姉さま」 指示を終えると、祥子さまも書類へ視線を落とす。修学旅行から戻ってからゆっくりお話しする機会があまりなかった ので、今日こそはと思っていたのだが、どうやら今日もそんな暇はなさそうだ。祐巳は鞄からペンケースを取り出すと、テ ーブルの中央に重ねられていた未処理の書類束へ手を伸ばした。 「あ!」 束を掴んで、手を戻す瞬間、ふとあるものが目に入り、祐巳は思わず間抜けな声を張り上げてしまった。 「何なの祐巳?」 「何なんです祐巳さま?」 テーブルの向こうで祥子さまが、隣りの席で縦ロールを揺らした瞳子ちゃんが、同時に怪訝な顔を祐巳に向けた。 「あ、いや、瞳子ちゃんのペンが……」 「ペン?」 祐巳が指差す先、瞳子ちゃんが作業に使っていたペンにふたりの視線が集中した。瞳子ちゃんは握ったペンを掲げる と、「これが何です?」と言いたげに首を傾げていた。 「そのシャーペン、使ってくれていたんだ」 マーブル模様のシャープペンシル。それは、祐巳が修学旅行のお土産にと瞳子ちゃんと可南子ちゃんにイタリアで買っ てきたものだった。渡したときは瞳子ちゃんも可南子ちゃんもあまりいいリアクションを返してくれなかったので、気に入ら なかったのかななんて思っていたのだ。 「そりゃあ使いますよ。筆記用具ですし。祐巳さまは使うために買ってきてくださったんでしょう?」 相変わらずのすまし顔で言う瞳子ちゃん。 「うん、まあそうなんだけれどね。使ってくれてるとこ見たら何だか嬉しくなっちゃって」 「何を仰るのかと思えば。祐巳さま、今は訳のわからないことに感激している暇はないんですよ。口を動かす余裕がある のでしたら、さっさと作業に入ってくださいませんか。紅薔薇のつぼみなんですからしっかりしてください」 かすかな皮肉を漂わせつつ言い放つと、瞳子ちゃんは書類へ視線を戻し、再びペンを走らせ始めた。 「あ、そうだね。ごめんごめん」 呆れた後輩の横顔ににへらと笑んで見せると、祐巳も姿勢を正してテーブルへと向かった。すると、そこへ紅茶を淹れ 終えた乃梨子ちゃんがやって来て、カップを差し出しながら小声で耳打ちした。 「瞳子、あのペン気に入っているみたいですよ。今までリボン柄のペンをずっと使っていたんですけれど、祐巳さまにあの ペンをもらってから授業でもずっと使ってます」 「そうなんだ」 思わず頬が緩んだ。受け取ったふたりの反応に関係なく、お土産を買ってきて渡したことに自己満足していたのだけれ ど、それを気に入って使ってくれていると知ると、期待していなかった分、喜びも大きくなる。相手が強敵の瞳子ちゃんと あっては尚のことだ。 「え、何? 何か面白い話でもあるの?」 可南子ちゃんから受け取った紅茶をすすっていた由乃さんが、テーブルの向こう側から身を乗り出してきた。 「もう、はしたないよ由乃さん」と祐巳がたしなめようとしたら、 「お姉さま方、口より手を動かしてくださいませ」 瞳子ちゃんに怖い顔で一喝されてしまった。 「はーい」 目が合うと、不機嫌そうに目を逸らす瞳子ちゃん。そんな彼女の姿が無性にいとおしくなって、祐巳はその頭をそっと 撫でた。 「な、何ですか出し抜けに!?」 「何でもない。さ、頑張ろ」
まだ姉妹になるだなんて夢にも思っていなかったけれど、祐巳は、昨日よりちょっとだけ瞳子ちゃんとの距離が縮まっ た気がした。耳を真っ赤にした瞳子ちゃんの横顔を眺めつつ。
〜エピローグ『帰り道にて・乃梨子と可南子』〜 書類の整理も順調に進み、5時を前にして作業はあらかた片付いた。 その後、薔薇さま方で打ち合わせがあるというので、つぼみのおふたりと私たち1年生3人は、少しだけ早めに薔薇の 館を後にした。
祐巳さまと由乃さまは、忘れ物を取りに教室へ。瞳子は演劇部へちょっと顔を出すということで、今、正門へと続く並木 道には私、乃梨子と可南子さんのふたりきり。 別に一緒に帰る約束をしたわけではなかったのだけれど、同時に薔薇の館を出て同じ方向へ向かう道中をまちまちに 行くというのも何かヘンだと思って。何を話すでもなく並んで正門を目指していた。 しばらく無言で歩いていたのだけれど、私は気になったことがあったので、横を行く可南子さんに尋ねてみた。 「さっきの瞳子、羨ましかったんじゃない?」 「瞳子さん?」 私の言葉に可南子さんは首を傾げた。 「シャーペンのことでさ。可南子さんは祐巳さまファンだから」 すると、 「ああ。別に羨ましくはないけど」 予想に反して、可南子さんは平然と答えた。 「そうなの?」 彼女が熱心な祐巳さまファンだと知っていたので、一瞬強がりかとも思ったのだけれど、その表情からは確かに羨まし さなど微塵にも滲み出ていなかった。 「私は、物がどうこう、自分がどうこうっていうより、喜んだり怒ったりされている祐巳さまのお姿を眺めているのが好きだ から。ペンをいただいたことは嬉しかったけれど、それをきっかけにしてどうこうってことには興味はないの」 「ふーん」 それを聞いて私は思った。ああ、想いのカタチは人それぞれなんだね、と。
正門を出ると、バス停から丁度バスが発車するところだった。
ということで、修学旅行の後日談的位置づけの小さなお話でした。 『チャオ ソレッラ!』の終盤で、背中合わせでお土産の袋を覗き込んでいる瞳子ちゃん&可南子ちゃんの姿がすんごく 可愛らしかったので、なんとかお話に出来ないかなってずっと思っていまして。いろいろと考えた結果、こんなお話になり ました。テーマは、瞳子ちゃんの心、少しだけ祐巳の方へ揺れたかな? って感じです。
瞳子ちゃんは歴代白薔薇姉妹に次いで好きなキャラクターなので、瞳子ちゃんらしさが少しでも出せていたらいいので すけれど、いかがだったでしょうか? 書いた本人はメチャクチャ楽しかったです(笑)。
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