『想いの歳月』

 

〜プロローグ〜

 小笠原祥子さん

 

 紅薔薇のつぼみ

 

 長い間憧れ続けてきた

 

 私、鵜沢美冬にとって特別な存在

 

 

 幼稚舎で初めてお会いした頃は、浮世離れしたそのお姿がとても眩しくて、その大人びた振る舞いに心惹かれ、その

姿を遠巻きに見つめているだけで満足だった。

 

 でも

 

 ブランコから落ちたあの日、ハンカチを差し出されたあの時から

 

 自信に満ちたまっすぐな瞳、凛としたお姿を目の当たりにした瞬間から

 

 憧れの気持ちは、恋心に変化した。

 

 幼心に芽生えた淡い恋心。

 

 もっとお喋りしたい、一緒に遊びたい。

 募る思いを口に出すことは勇気のない私には出来なかったけれど、言えなかった分、あの人への想いは私の中で

日々膨れ上がっていった。

 

 父の転勤で幼稚舎を離れることになってからも止めどなくずっと。

 

 だから

 

 その想いを消し去ることが出来なかったから、私はここへ戻ってきた。

 

 私立リリアン女学園へ……。

 

「またね」

 あの日交わした挨拶に答えるために。

 あの日伝えられなかった想いを今度こそ伝えるために。

 

 

 

 幼稚舎以来のリリアンで、祥子さんと同じクラスになれたことは、マリア様の気まぐれか、それともご加護だったのか。

その真意の程は私にはわからなかったけれど、訪れた奇跡に私は手を合わさずにはいられなかった。だが、せっかくの

奇跡も、怖気づいて伝えたい気持ちを心の奥底にしまい込んだままの私にとっては、どちらにせよ意味は成さなかった

わけなのだが。

 

 夢にまで見た再会を果たしたというのに、幼稚舎時代の私を、祥子さんが記憶の片隅にも留めてくれていなかったこと

にショックを受けて、私はすっかり臆病になっていた。臆病風に吹かれるだけで、想いを言葉に出来ないでいる自分の愚

かさに憤慨したり、もどかしく思ったり、後悔の念に駆られたり。憧れの祥子さんが目の前にいるというのに、そんな毎日

の連続だった。

 

 それに拍車をかける様に、福沢祐巳さんという妹を得たことに、私のなけなしの勇気は大きく刈り取られてしまった。

 

 祥子さんにしっかりと向けられた祐巳さんの瞳、淀みなく澄んだ心。それを真正面から受け止めている祥子さんの優し

い笑顔。

 

 心の底で燻ぶる正体不明のもやもやは、ジェラシーだったのか、不甲斐ない自分への苛立ちだったのか。

 

 ただ。まっすぐな祐巳さんの姿を見ていたら、幾つかわかったことがある。

 うずくまって動こうとしない自分が如何に愚かかということ。

 結果を恐れて一歩を踏み出さなくては、一生ここから抜け出すことは叶わないということ。

 踏み出して良い方へ転がる保障なんて何もなかったが、少なくても結果が怖くて動けずにいる今よりは何倍もマシとい

うこと。

 

 祐巳さんがどういった経緯で祥子さんの妹に選ばれたのか、詳しい事は知らないけれど、憧れは望むだけでは手の中

に納まってはくれないのだ。

 

 一時、"福沢祐巳"になれば祥子さんに振り向いてもらえると思っていた時期がある。短い髪を無理矢理リボンで結っ

て、祥子さんの見つめる祐巳さんになろうとした。だけれど、祥子さんが見ていたのは祐巳さんの外見ではない。外見だ

け真似たって所詮はレプリカント。本物ではない私に祥子さんが関心を示すはずもないのだ。

 

 確かに祐巳さんは私にない何かを持っている。

でも、私にだって彼女にはない何かがあると思う。それが何かは、残念ながらわからなかったけれど、それは私にしかな

いとっておきの武器になってくれるはずである。

 

 すべて正面で受け止める決心をした。想いの歳月を胸にして、現状をしっかり受け止めよう。辛いことも楽しいこともす

べて受け止めて、まっさらな気持ちで祥子さんとの関係をこれから築いていこう。一方的な想いだから、私の気持ちなん

て祥子さんは知りもしないだろう。そう考えると、ちょっぴり胸が痛んだが、これはこの世で1番尊い宝物を手に入れるた

めに神様が私に課した試練なのだ。だから。大好きなあの人に近づくための試練だから。心は躍っても落胆する気持ち

はなかった。

 

「うん。頑張ろう」

「何を頑張るのかしら?」

 放課後の教室で1人、握り拳を固めて頷いていると、不意に声を掛けられた。慌てて手を下ろして教室の入り口に目を

向けると、私は卒倒しそうになった。なんと、そこには小笠原祥子さん本人が立っていたのだ。

 強気なことを今まで言っていたくせに、本人を前にすると気持ちが萎縮してしまいそうだ。

「あ、いえ、別に」

「そう」

 言いよどむ私の横を静かに通り抜けると、祥子さんは自分の席へ向かった。

 ここで萎縮してしまったら、昨日までの自分と一緒だ。何のために髪を切ったのか。何のために福沢祐巳の亡霊を卒

業し、覚悟を決めたのか。

「祥子さん、何か忘れ物?」

「ええ」

 何とか絞り出した言葉はキャッチボールにすらならなかった。

 それでも。内容はどうあれ、祥子さんと他愛もない会話を交わせたという事実が私の心を昂ぶらせた。今なら、空だっ

て飛べそうな気がした。

 贅沢を言えば、思い切って変えてみた髪型に気づいて欲しかったが、彼女にとっての特別ではない一生徒である私の

髪型のことなど眼中にはないだろう。

 そんなことを思って心の奥で苦笑を洩らしていると。

「美冬さん、髪型変えられたのね。そちらの方が似合っていてよ」

 瞬間、心臓がドキンと大きく跳ね上がった。知っていた。祥子さんは私の髪型を。そして、それが変わったことを。ほん

の些細な変化なのに。

 侮っていた。どうやら私は小笠原祥子という人間を甘くみていたのかもしれない。

 もちろん、たまたま記憶にあっただけなのかもしれないけれど、それでも今は十分。私にとっては気づいてくれたことが

重要だったのだから。

「ありがとう。私も気に入っているのよ」

 うわずる声を必死に抑えつつ、平静を保って答えた。

 それに笑顔で答えてくれた祥子さん。それは、ずっと私が焦がれてきた麗しい笑顔だった。うん。この笑顔を手に入

れるためならば、私はどんな試練にだって立ち向かえる。

 

 と思いはしたものの、悲しいかな。すぐに実践出来るほどの度胸がないのもまた確か。だけれど、逃げるのではない。

自分の想いと正面から向かい合った私は、ただ単に臆病だった昨日までの鵜沢美冬ではない。少しずつ階段をのぼっ

ていって、いずれは祥子さんと……。

 

「で、では、私はこれで。ごきげんよう紅薔薇のつぼみ」

 自分の想像に思わず赤面してしまったので、私は不自然なくらいの早足で祥子さんのいる教室を後にした。

 

 

 階段の踊り場へ下りていくと、早足で階段を上がって来た福沢祐巳さんとすれ違った。おそらく、祥子さんのもとへ行く

のだろう。その晴れやかな表情を見れば想像がつく。

 去っていく祐巳さんの後ろ姿を見送りつつ。

「想いとその歳月だったら、あなたにも負けなくてよ」

 私はそんなことを呟いた。

 おそらく、先ほどの祐巳さんに負けないくらい私の表情も晴れやかだったと思う。

 

Fin

 

 美冬さんの決意表明です。

 美冬×祥子派ではないのですけれど、紅いカードを読んで以来、美冬さんにも幸せになって欲しいなとずっと思い続けていたので、このようなカタチで描いてみました。

 紅いカードのクライマックスで生まれ変わった彼女は、きっとこれから前向きなアプローチをしていくことでしょうと、勝手で個人的な気持ちを込めて。

 機会があれば、美冬版のバレンタインデート、告白シーン等も描いてみたいです。それを目撃してしまった祐巳の心情も織り交ぜつつ。

 

 不調真っ只中の状態で書いたので、言葉足らず、突っ込みどころ満載かとは思いますが、感想をいただけましたら幸いに思います。

 

 

 

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