『ある日の鳴海探偵事務所』
シュラウドから衝撃の事実がもたらされた数日後。 鳴海探偵事務所は、比較的平穏な昼下がりを迎えていたわけだが。
オレ、左翔太郎がデスクで報告書を作成していると、コーヒーカップを持って室内をウロウロしている亜樹子の姿が視 界の隅に映った。デスクの脇でコーヒーを啜ってあからさまに溜め息をつくと、再びウロウロ。無言のその背中が話しか けろと語っている。まったく、こっちは報告書作成で忙しいというのに。 「どうした亜樹子? ウロウロしたって依頼が来るもんじゃなし。少し落ち着いたらどうだ」 どうせまたくだらないことでも企てているんだろうとは思うのだが、ヘタにスルーしてへそを曲げられでもしたら活動に支 障が出てしまう。みすみす誘いに乗るのはしゃくだったが、オレはタイピングの手を止めることなく困った所長殿に声をか けた。 「あのさ、フィリップくんのことなんだけれど」 「ん、フィリップ?」 相棒の名前にタイピングの手が止まった。次いで顔を上げると、珍しく真剣な顔をした亜樹子と視線が重なった。 「口では大丈夫的なこと言ってたけど、若菜姫とか家族のことでけっこうダメージ受けてる感じだよね」 何かと思えば。オレは軽く溜め息をつくと、コーヒーを一口含んだ。もうすっかり冷めてしまっていたが、今は淹れ直しを 頼める雰囲気ではない。 「だろうな。だが、お前があれこれ気に病んだところでどうにかなる問題じゃない。これだけはフィリップ本人が乗り越えな きゃいけない壁だからな」 亜樹子が心配する気持ちも十分に理解出来た。だが、自分までもそれに乗っかって気に病んでしまっては今後の戦い に影響が出るのは目に見えている。だから、亜樹子にどう思われようとオレは出来る限り冷静沈着なスタンスを貫く心づ もりでいた。 「わかってるわよそんなこと。でも、直接手は出せなくても、アタシたちに出来ることって何かあるんじゃないかって思った わけよ」 「出来ること? 亜樹子、お前何か企んでるな?」 嫌な予感。オレが訝しげな表情で問いかけると、不敵な笑みを浮かべた亜樹子はダっとデスクへ駆け寄り、挑発する ようにオレの頬をスリッパでペシペシと叩いた。ったく、スリッパどこに隠し持ってたんだ? 「アタシなりの檄をとばす!」 鬱陶しく頬を打つスリッパを払うと、その向こうで亜樹子はウインクをして見せた。 「檄って何だよ?」 依然、意を得られないオレの語調がわずかに強まった。だが亜樹子はそれを気にする風でもなく華麗――には程遠い ――ステップ&ターンでソファーまで後退。テーブルからバッグを取り上げると、「一切合財任せておきなさいって」と言い 残して部屋を出て行ってしまった。 その後姿を見送りつつ、去来する不安に苛まれる。亜樹子が自信に満ち溢れた笑顔を見せれば見せるほど、張り切 れば張り切るほど、結果が裏目に出てしまうことは、今までの経験で嫌っていうほどわかっていた。
翌日。 「はーい、フィリップくんお待たせ〜」 奥で何やら騒いでいたが、なるほど。これが亜樹子流の檄ってヤツか。いつも突飛な行動に迷惑を被ってきたが、今 回だけは上出来だ。 現れた亜樹子の微笑ましい姿を見るや、オレは自然にこみ上げてくる笑みを自覚した。 「うわっ、いきなり何?」 エプロンドレス姿で現れた亜樹子の姿に驚いたフィリップは、ソファーの上で小動物のようにビクつくと、読んでいた本 を両手で頭の上まで持ち上げた。そして、両目を丸くして目の前で微笑む亜樹子と、その前に差し出されたモノを交互に 見つめていた。 「何ってケーキよ。手作りのダブルベリーケーキ。一生懸命作ってみたんだ。ささ、食べてみそフィリップくん」 亜樹子の抱えた大皿に乗せられていたのは、紫と赤のコントラストが鮮烈なケーキ、らしきもの。イビツな楕円形と独 走的な色合いが恐ろしいほど食欲を削いでくれる。ダブルベリーと言っていたが、一体何を入れて作ったんだ? 「作ったこともないのに必死こいて作ったんだ。食ってやってくれよ」 見た目は置いておいて、亜樹子の気持ちはこもっているように思えたので、オレは助け船を出してやった。 「アンタは余計なこと言わなくていいの」 なのに。そんな言い草はないだろ。売り言葉に買い言葉の精神に則って、すぐさま反論に転じようかと思ったが、オレ が口を開い刹那、切り分けられたケーキが目の前に差し出された。 「あ、ああ」 ムスっとした表情からは亜樹子の気持ちを読み取ることはかなわなかったが、助け船への感謝の気持ちととっていい のか。ともかく、亜樹子お手製ケーキをオレもご相伴に与れることになった。 「しっかし……」 目の当たりにすると、紫と赤のコントラストが鮮烈にして強烈。加えて甘ったるい香りが鼻孔を刺激しまくって、口に 運ぶのに多少の勇気がいる逸品だ。だが、いつまでも見つめていてもしかたがない。オレは意を決してひとかけらを口 の中へ放り込んだ。 (ぐごぉ、激甘……) ストロベリーソースとブルーベリーソース、加えて加糖しまくったホイップクリームの甘みが口の中で主張しあってそれぞ れが大暴れ。スイーツ好きの婦女子も悶絶必至なスィートっぷりだ。 さっきまで飲んでいたコーヒーで口の中の甘ったるさも一緒に飲み下すとようやく一息。 オレは、もう1人の犠牲者を観察した。すると、亜樹子が満面笑みでオレより大きくカットしたケーキをフィリップに差し出 すところだった。フィリップ、ご愁傷様……。 「ささ、食べてフィリップくん」 「う、うん」 半ば押しつけられるようにケーキの乗った皿を受け取ると、フィリップのゴクリと生唾を飲み込む音が聞こえた気がし た。相棒よ、その心境、痛いほど理解出来るぜ。 やがて、フォークでさした色彩豊かな物体を口に運ぶフィリップ。 「どう? 美味しい? 美味しい?」 今の亜樹子の笑顔は、まさに悪魔の微笑が如く。だが、眉間にしわが寄るのを必死にこらえつつ、ケーキを飲み下し たフィリップは、 「まさに鳴海亜樹子って味……かな」 完全に引きつった笑みを浮かべつつ、そんな感想をもらした。 「はへ、アタシ味?」 「そりゃいい。言い得て妙だなフィリップ。まさに亜樹子って味だ」 旨くもなく不味くもなく気持ちだけはてんこ盛り。亜樹子味は、この上ないほどの形容。褒め言葉だと思えた。 「ちょっと、それどういう意味よ」 だが、当の本人は言葉の真意に気がつく様子もなく首をひねって困惑顔。そんな亜樹子の顔を穏やかな表情で見つ めているフィリップ。過程はどうあれ、亜樹子の思惑はうまくいったようだ。
未だ困惑中の亜樹子をよそに、1人満足してコーヒーを啜っていると、ふいにフィリップが姿勢を改め、オレと亜樹子の 正面を向いて座り直した。 「2人とも、気遣ってくれてありがとう。もう大丈夫だから」 「フィリップ」 「フィリップくん」 どうやら、亜樹子の企てはバレバレだったらしい。まあ、亜樹子VSフィリップでは勝負にすらならないわけだが。 「姉さんのことも、母さん、家族のことも。全部割り切れたと言ったら嘘になるけれど、もう立ち止まることはない。少なくて も、今の僕には、かけがえのない仲間、いや家族がいるからね。それだけで十分」 飛び出したのは意外な言葉だった。何を言い出すかと思ったら、お前ってヤツは。 「だから、最後に何が待ち構えていようと これからも戦っていける。翔太郎と一緒にね」 言うと、フィリップは不敵な笑みを湛えて拳を突き出した。 例え、今言ったことの30パーセントが本音で70パーセントが強がりだったとしても、真正面から見据えられてそんなこと 言われたら何も言い返せやしない。それどころか、フィリップの覚悟を侮っていた自分たちが恥ずかしくなってくる。そう だ。オレたちの知るこの男は、フィリップはこういうヤツなんだ。 「そうだな。俺たちは2人で1人。絆の強さも覚悟もそんじょそこらのヤツらには負けはしない」 突き出された拳に拳を打ちつけつつ不敵な笑みで答える。すると、 「アタシも忘れないように」 そこに亜樹子も手を乗せた。 「ああ」 これではまるで70年代のスポ根ドラマだ。だが。ハードボイルドとは真逆を行くノリだったが、たまにはこういうノリも悪く ない。いや、むしろ、これこそが鳴海探偵事務所、オレたちのスタンスなのかもしれない。
「オレの意には反するけどな」
〜エピローグ〜
「おいフィリップ、頬にクリームくっ付いてんぞ」 「ん、ああ」 「ったく、ガキじゃねーんだから世話かけんなって」 「うん、ありがとう翔太郎」 オレは指で拭ったクリームを無意識に口へ運んだ。刹那。 パコーン! 亜樹子の突っ込みが炸裂した。 「痛っ、何すんだよ亜樹子!!」 「うっさい。仲良きことはいいことだよ。でも、誤解されそうな行動は禁止。BLとかCPとか子供たちがテレビで観てるんだ からそういう不健全なのは絶対に駄目なの! いくらアンタたちが2人で1人でもね。コラ、フィリップくんもヘンに頬を赤ら めないの!!」 流れるような動作でフィリップの頭にもスリッパの一撃を見舞う。 「意味わかんねーぞ。誰がどこで見てるって? ってかBLとかCPって何の事だよ」 「知らなければそれでよーし。ささ、ブルーベリーティーも作ってみたのよ」 暴風のように暴れるだけ暴れて、都合が悪くなったらはいそれまでって。お姫様、いや所長様っぷりにも程があるぞ。 「ったく、言っておいて誤魔化すかよ。……ん?」 呆れ半分、亜樹子の手からブルーベリーティーの入ったティーポットを奪い取る。刹那。 「……おい亜樹子、お前の鼻にクリームくっ付いてんぞ」 おそらく調理中に飛び跳ねたのだろう。ホイップクリームのカタマリが、まるで漫画のように亜樹子の鼻の頭にのっかっ ているのに今更気が付いた。 「取ってやるよ」 「え、あ、ちょっと! いいから」 手を伸ばすと、必死に状態を反らす亜樹子。こっちは親切心で言っているというのに失礼なヤツだ。 「遠慮すんなって」 「ホントいいから。って、ぎゃーーーー、触んなこの痴漢―――――――――――っ!!」 亜樹子の動揺っぷりが面白くなって、親切一転からかっていたら、亜樹子の中のリミッターがオーバーしてしまったらし い。一息おいて奇声を張り上げると、亜樹子は無差別にスリッパを振り回し始めた。それに加え、テーブルをまさぐって 手に触れたものを無作為に投げ始めた。 「痴漢はねーだろ。わ、ちょ、やめろって」 「問答無用!! アンタの罪を数えなさい翔太郎!!」 グシャリ……。 「おい亜樹子……。いくらなんでもケーキは反則だろ」 お笑い番組のパイ投げよろしく、オレは顔面で亜樹子の投げたケーキを受け止めていた。こびり付いたクリームの甘 い香りで窒息しそうになる。軽く顔を振ると、ダラリとマダラ色のクリームが零れ落ちた。飛び跳ねたブルーベリーの紫色 がしっかりとワイシャツにも染み込んでしまっている。一張羅が台無しだ。 「大丈夫かい翔太郎?」 フィリップがオレの顔についたクリームを拭いつつ苦笑い。いや、マジ笑い。人事だと思って大爆笑してやがる。だが、 こんなに笑うフィリップを見るのも久しぶりだ。そう思うと、道化もたまにはアリだと思った。
「あああぁー、ゴメーン。今拭いてあげるから」 一瞬の間を置いて、タオル片手に亜樹子が大慌てで駆け寄ってきた。すかさず、握ったタオルをオレの顔に近づける が、オレは亜樹子の手を突っぱねつつ、 「ゴメンで済んだら刃野さんは食いっぱぐれだ!」 不機嫌な顔をして怒鳴り散らしてやった。
気の置けな仲間たちと過ごす何気ない日々。
いつまでこんな関係が続けられるかわからないが、結果のわかっている未来なんてつまらないし意味もない。
オレたちは、自分を、仲間を信じて今まで道を切り開いてきた。
これから訪れる未来が例え不確かなものでも、オレたちはこれからも変わらぬスタンスで未来を切り開いて行く。運命 に導かれて3人が出会ったこの場所で。
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